2014年09月23日

上野千鶴子さんとの出会い。

9月5日で医療事故にあって19年目を迎えた。
今までは毎年、9月5日が来る度に元気だったらピアノも弾けたのに、
結婚も出来たのにとあれこれ考えて、こんな体を恨めしく思っていた。

でも、こんな体になったからいろんな人達と出会うことも出来た。
本当に、大西良空さんの言われるとおりだと思う。

この間、上野千鶴子さんの講演会に行った。
9月13日のことだ。
テーマは「住み慣れた地域で安心して暮らし、安らかに看取られるために」。
収容人数約1000人のあの演劇ホールがほとんど満席だった。
上野さんの話は本当にわかりやすくて、
この私でも、よくわかる。
ズバッと言う上野さんの話は、私の性格にぴったりだ。

休憩時間に係の人が
「終わったら、上野さんの出てくるドアのところで待っていて…」
と言ってくれた。

終わって、関係者の出入口のところに行ったら
上野千鶴子さんが出てきた。

手紙をもらったことはあるけれど、
お互いに会うのははじめてだった。

上野さんは
「最初から聞いてくれていたの? どうだった?」
と言った。
私は「よかったー」
と言ったけど、小さな声しか出せない。だから、
ちゃんと聞こえたかどうかわからなかった。

続けて上野さんは
「この雨の中を来てくれたのね~」
そして「ハグしていい?」と言った。
「はい!」と言うとハグしてくれて
「ああいい匂い!」と言った。
スッゴク嬉しかった。
私が元気な体だったらこんな出会いもないのだ。



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Posted by あっこちゃん at 10:34│Comments(2)つながり
この記事へのコメント
先日は、可愛い皆さんからのお礼状を頂き、有り難うございました。
葉書を読ませて頂きながら、とても心が和みました(^_^)

上野千鶴子さんにお会いになったそうで、よかったですね(^^)
明子さんにとって何よりの一日となったのではないかと、他人事ながら、わが事のように嬉しく読ませて頂きました。
しかも、会われた日が9月13日。
ブログを拝見して真っ先に眼に飛び込んできたのが、この日付でした。
何故かと言えば、13日は、月こそ違え、法徳寺の御本尊様のご縁日で、とても仏縁深い一日だったからです。
祥月のご縁日は4月13日ですが、13日にお会いになったと聞いて、何かしらそこに、お計らいのようなものを感じました。
お計らいとは、「自分にとって思いも寄らぬ出来事や出会い」の事ですが、世間では、このようなお計らいを、ただの偶然として片付けてしまいます。
でも、信仰している者の眼から見ると、この世に偶然といえるものは一つもありません。
どんな結果であっても、そう成るべくして成っているのであって、そこに見えぬ力が働いている証なのです。
今回の出会いも、様々な条件が結びついた結果、そう成ったものであり、その結果は決して偶然ではありません。
仮に偶然だとしても、明子さんがその偶然に出会えたのには、ちゃんと理由があります。
その理由は、眼には見えませんが、必ずそこにはそう成るべき理由があるのです。

「だから何なの?」と言われれば困りますが(笑)、見えない力が働いているという事を、明子さんにも感じ取って頂きたいのです。
上野さんとのご縁も、私とのご縁も、明子さんの周囲の人々とのご縁も、すべてその見えない力が働いているお陰です。
その見えない力を、世間の人々は偶然として片付けますが、偶然と片付けるのではなく、見えない力を感じ取れる心、様々な偶然に感謝できる心を養って頂きたいのです。
そうすれば、これからも素敵な出逢いや喜びが明子さんを待ってくれている筈です。

話が段々堅苦しくなってきましたが(笑)
お釈迦様は、私達の人生を「四苦八苦」と、おっしゃっておられます。
「四苦八苦」とは、四つの苦しみと八つの苦しみという意味ではありません。
「生老病死(しょうろうびょうし)」苦の四苦と、「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとっく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四苦をあわせて、「四苦八苦」と言います。
この内、「愛別離苦」とは、愛する人とも離れ離れにならねばならない苦しみ、「怨憎会苦」とは、仇敵とも会わねばならない苦しみの事ですが、この苦しみの反対、つまり、愛する人々や会いたい人々に会える事は、人間にとって最良の出会いであり、最高の喜びとなります。
上野さんとの出会いも、明子さんにとって、最良の出会いであり、喜びだった事は、想像に難くありません。

でも、忘れないで頂きたいのは、その出会いと喜びを引き寄せたのは、誰かと言う事です。
勿論、み仏の見えぬ力が働いている事は言うまでもありませんが、それだけではありません。
今年1月4日のブログ『スローライフの山下さんと社会学者の上野さん』のコメントの中で、

私が、この状態になった頃、周りに居た人たちは何一つ出来ない私、世話ばかりかける私に「ありがとうが足りない」とか、「あれだけしてやったのに…」とか言う声が聞こえてきたりしました。
その頃は生きていることもイヤになり、それかと言って、こんな体では自分で命を絶つことも出来ませんでした。
今は違います。
堂々として生きていていいんだと思いました。

と書いておられますが、私もまったく同感です。
明子さんも、ようやく分かってこられたようですね(笑)
今回の上野さんとの出会いも、明子さんが堂々と生きているからこそ叶えられた結果だと思っています。
先ほど「み仏の見えない力が働いている」と言いましたが、見えない力の中で最大の力が、実は「堂々と生きていていいんだ」という明子さん自身の想いなのです。
それが、明子さんを支える最大の見えぬ力です。
これは、明子さんだけではなく、私を含めて、全ての人々にも言える事ですが、自分の代りは他にいません。
明子さんの代りもいません。
私の代りもいません。
誰も代れないからこそ、私も明子さんも、それぞれが天上天下唯我独尊の存在なのです。
その事が分かれば、堂々と生きていていいし、堂々と生きていかなければいけない事も、自ずと分かってきます。
さもなければ、せっかくこの世に命を与えてくれた両親やご先祖に申し訳ないではありませんか?
ですから、誰に恥じる事も臆する事も無く、堂々と胸を張って生きていけばいいのです(^_^)
Posted by 大西良空 at 2014年09月25日 09:59
大西さん、上野千鶴子さんに会えたこと、一緒に喜んでいただいてありがとうございます!
本当に、心強いです。
Posted by あっこちゃんあっこちゃん at 2014年09月27日 18:50
 
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上野千鶴子さんとの出会い。
    コメント(2)