2015年04月21日
大好きだった耕くんのパパ
耕くんのパパが亡くなって、4月22日で一年になる。
母のお兄さんなので、おじちゃんだが
幼いときから耕くんのパパと呼んでいた。
このアパートにもよく遊びに来てくれた。
来る時には決まって、私の東京行きの貯金箱に入れる500円玉2枚と、
セブンイレブンの地鶏、あんパン、缶コーヒー(ブラック)を持って来てくれた。
お母さんが少しでも楽をするようにと、
パック入りの千切りキャベツやポテトサラダも、
たまにはケンタッキーとコーラも届けてくれたっけ。
いつも帰るとき
「アッコ、頑張れよ! また来るかいね!」
と肩をもんでくれていたのに。
大切な人が一人一人と、いなくなる……。
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2015年夏のひとコマ。東京羽田にて。
お父さんの初盆。
そら行かんといかんわ。親として当然やが・・・「諏訪内晶子 成熟のアンサンブル」
ひとり暮らしを始めて12年。
家族6人で過ごしたお正月。
母の日のこと。
お父さんの初盆。
そら行かんといかんわ。親として当然やが・・・「諏訪内晶子 成熟のアンサンブル」
ひとり暮らしを始めて12年。
家族6人で過ごしたお正月。
母の日のこと。
この記事へのコメント
法徳寺の境内をピンク色に染めていたソメイヨシノも、すでに散り、今は目に鮮やかな新緑に衣替えしています。
これから暑い夏を控えて青葉を茂らせ、秋には赤く色づき、やがて落葉して丸裸になり、また新しい春を向かえる準備に入ります。
桜の花は、一体どこから来て、どこへ帰っていくのでしょうか?
そんな事を考えた事はありませんか?
桜の木を切っても、そこに花はありません。
でも、春になると、忘れずに木の中から芽を出し、花を咲かせます。
不思議ですね(笑)
この桜の花びらが、私達人間だとしたら、毎年、美しい花を咲かせる一本の木は、私達を生み出す生命体という事になります。
肉眼では見えませんが、すべての生命を生み出す根本です。
お大師様が、「生まれ生まれ生まれ生まれて、生のはじめにくらく、死に死に死に死んで、死のおわりにくらし」、つまり、どこから来て、どこへ帰っていくのか、誰も知らないと仰っておられますが、明子さんは、自分がどこから来て、どこへ帰っていくのか、知りたいと思った事はありませんか?
自分の正体と言ってもいいでしょう。
坂中明子という名前は、この世に生きていく上でご両親に付けてもらった仮の名前ですが、坂中明子という名前では言い表せない本当の自分がいます。
その自分の正体です。
阿字の子が 阿字のふるさと立ちいでて
また立ちかえる 阿字のふるさと
これは弘法大師の歌ですが、阿字の子とは、み仏の子という意味です。
根本の生命体から生まれた子と言ってもいいでしょうが、おじさんは、きっと桜の花びらと同じように、阿字の子となって、阿字のふるさとに帰っていったのだと思います。
無になった訳ではなく、いまも、その世界で生きています。
いまはただ生きる世界が私達と違っているだけです。
目に見える世界にいる私達が、形も姿もなく、目にも見えない世界にいるおじさんと違うのは、ただ肉体があるかないかだけです。
死んだのではなく、生きる姿が変わっただけです。
そして、春が来れば、また桜の花が咲くように、この世へ帰ってきます。
勿論、まだ一度も死んだ経験がないので、それを証明する事は出来ませんが(笑)、私はそう信じています(^_^)
これから暑い夏を控えて青葉を茂らせ、秋には赤く色づき、やがて落葉して丸裸になり、また新しい春を向かえる準備に入ります。
桜の花は、一体どこから来て、どこへ帰っていくのでしょうか?
そんな事を考えた事はありませんか?
桜の木を切っても、そこに花はありません。
でも、春になると、忘れずに木の中から芽を出し、花を咲かせます。
不思議ですね(笑)
この桜の花びらが、私達人間だとしたら、毎年、美しい花を咲かせる一本の木は、私達を生み出す生命体という事になります。
肉眼では見えませんが、すべての生命を生み出す根本です。
お大師様が、「生まれ生まれ生まれ生まれて、生のはじめにくらく、死に死に死に死んで、死のおわりにくらし」、つまり、どこから来て、どこへ帰っていくのか、誰も知らないと仰っておられますが、明子さんは、自分がどこから来て、どこへ帰っていくのか、知りたいと思った事はありませんか?
自分の正体と言ってもいいでしょう。
坂中明子という名前は、この世に生きていく上でご両親に付けてもらった仮の名前ですが、坂中明子という名前では言い表せない本当の自分がいます。
その自分の正体です。
阿字の子が 阿字のふるさと立ちいでて
また立ちかえる 阿字のふるさと
これは弘法大師の歌ですが、阿字の子とは、み仏の子という意味です。
根本の生命体から生まれた子と言ってもいいでしょうが、おじさんは、きっと桜の花びらと同じように、阿字の子となって、阿字のふるさとに帰っていったのだと思います。
無になった訳ではなく、いまも、その世界で生きています。
いまはただ生きる世界が私達と違っているだけです。
目に見える世界にいる私達が、形も姿もなく、目にも見えない世界にいるおじさんと違うのは、ただ肉体があるかないかだけです。
死んだのではなく、生きる姿が変わっただけです。
そして、春が来れば、また桜の花が咲くように、この世へ帰ってきます。
勿論、まだ一度も死んだ経験がないので、それを証明する事は出来ませんが(笑)、私はそう信じています(^_^)
Posted by 大西良空 at 2015年04月28日 11:58