2014年01月04日

スローライフの山下さんと社会学者の上野さん。

昨年最後の「スローライフ」は12月17日、ホテルメリージュであった。
3ヵ月に1回のスローライフには必ず行くようにしている。

いろんな分野の人と出会うことができるし、
私は自分から声を発することはできないが、
皆が声かけをしてくれるからだ。

スローライフに行くきっかけになったのは、
もう10年以上も前になるが、山下道也さんが、
「アッコちゃんもパーティーに連れておいでよ」
と母に言ってくれたからだった。

以前、ひょんなことから社会学者の上野千鶴子さんから手紙をもらった。
「明子さんが、家に居ても世界が広がるように…」
と当時、福岡の筋萎縮症の方に連絡をとってくれ
パソコンのメールアドレスを教えてくれたことがあった。

そのお礼に…と思い『ひとさし指から奏でる♪幸せ』を送った。
すぐに上野千鶴子さんからサイン入りの
『当時者主権』の本とハガキが届いた。

「山下道也さんからすでに、届いています。
今、宮崎では、私の『おひとりさまの老後』と並んで売られているとか…」
と書いてあった。

その間、何度となく山下さんに会っているのに、
そのことに触れたことはなかった。

お礼も口にしたことはなかったが、
山下さんは十分、わたしの気持ちをわかってくれているように思う。
真のやさしさを持ちあわせている人だから。



★ランキングに参加しています。
バナーをワンクリックして、よかったら応援してくださいね!

にほんブログ村 クラシックブログ ピアノ教室・ピアノ講師へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 車いす自立生活へ

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 宮崎県情報へ





同じカテゴリー(ひとさし指から奏でる ♪ しあわせ)の記事
 『ありがとう』 動画アップしました! (2015-03-01 15:52)
 悔しさ、惨めさ、情けなさ、痛みを経験したからわかる。 (2015-01-12 22:51)
 私の歌『ありがとう~ひとさし指から奏でるしあわせ』。 (2014-12-29 13:35)
 思いがけないプレゼント。 (2013-06-13 22:53)

この記事へのコメント
新年明けましておめでとうございます。
どうぞ今年も宜しくお願いします(^^)

「ご縁」という言葉があります。
「お正月早々、縁起が良いですね」とか「これも何かのご縁かも知れませんね」等と言う時に使う仏教用語ですが、ご縁は、芝居で言うと、脇役に当たります。
主役は、結果を生み出す直接的原因となるものです。
原因と縁によって結果が生まれるので、「因縁生起」と言います。
略して「縁起」とも言いますが、主役と脇役が揃って、初めて芝居が完成するようなものです。

主役である原因は、お米に譬えれば、一粒の種です。
しかし、米粒だけでは、お米は実りません。
そこに、太陽や雨や風や土や肥料や除草などの、自然の恵みと人間の力が加わって、ようやく美味しいお米が実ります。
一粒の種から、たわわに実ったお米に育ててくれる様々な脇役たちが、ご縁です。

明子さんが主役とすれば、明子さんを様々な形で支え、育ててくれているご縁の人々が、脇役になります。
「縁の下の力持ち」なんていう言葉もあるように、縁という脇役は、主役を差し置いて、表舞台に出るような事はしません。
どこまでも脇役に徹し、影武者として主役である明子さんを支えるのが、縁の役目です。

明子さんが、今の明子さんに成長出来たのは、明子さんの努力も勿論あります(そして、それが最も大きな比重を占めています)が、明子さんを陰で支えてくれた数知れぬ脇役の人たちがいたからです。
これは、間違いありません。
脇役の中には、勿論、ご家族や多くのお友達や、山下道也さんや、上野千鶴子さんもいます。

でも、もう一つ、間違いない事があります。
それは、私もそうですが、多くの脇役の皆さんは、主役である明子さんを支える事に喜びを感じ、明子さんから喜びを分けて貰っているという事です。
ですから、お礼なんて要らないんです。
だって、主役を盛り立てるのが脇役の役目なんですから、主役に喜んでもらえたら、こんなに嬉しい事はありません。
明子さんの喜びが脇役の喜び、明子さんの幸せが脇役の幸せなのです。

どうか、今年も良きご縁に遇われて、素敵な一年にして下さい。
それが、私達脇役の何よりの幸せになります(^▽^)
Posted by 大西良空 at 2014年01月05日 15:09
大西さんからコメントをもらうようになって、もう半年が過ぎました。大西さんのお陰でどれだけ私の気持ちが救われたかわかりません。
1月5日のコメントを読んで感じたことがあります。
今、私の周りにいる人たちは何も出来ない私と一緒に居て、「楽しい」と言ってくれる人たちです。
でも私が、この状態になった頃、周りに居た人たちは何一つ出来ない私、世話ばかりかける私に「ありがとうが足りない」とか、「あれだけしてやったのに…」とか言う声が聞こえてきたりしました。
その頃は生きていることもイヤになり、それかと言って、こんな体では自分で命を絶つことも出来ませんでした。

今は違います。堂々として生きていて、いいんだと思いました。特に今日、そう思いました。私たちのピアノ教室では、1月は毎週、百人一首大会をします。でも、宿題のピアノ曲をちゃんとやっていないとカルタ取りに参加出来ないのです。だから皆、一生懸命、練習してきます。今日は私が読み手でした。
私は、蚊の泣くような声でたどたどしく上の句を言うと、子供たちは必死に私の口元を見て、「いにしえの?」と言って「今日九重に匂いぬるかな」の下の句を取るのです。
あの子供たちの一生懸命の眼差し、すごく幸せだと思った時間でした。
Posted by あっこちゃんあっこちゃん at 2014年01月26日 18:32
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
スローライフの山下さんと社会学者の上野さん。
    コメント(2)