2015年05月17日

そら行かんといかんわ。親として当然やが・・・「諏訪内晶子 成熟のアンサンブル」



5月14日(木)は、19時から「諏訪内晶子 成熟のアンサンブル」
の演奏を聴きに行った。
会場はメディキット県民文化センター演劇ホールだった。

前々からみやざき中央新聞編集長の水谷謹人さんから
「5月の国際音楽祭、どの日か一緒に行かない?
もう誰かと行く予定入ってる?」
とメールがきたので
「諏訪内晶子さんのヴァイオリンが聴きたいです。
連れて行ってくれるんですか?」
と返信した。
「はーい、行きましょう!そちらは2人ですね」
と、お母さんと私2人分のチケットをプレゼントしてくれた。

当日はお父さんの調子が悪く、付き添っていたお母さんから
「今日、演奏会は無理かも…」とメールが来た。
朦朧とした意識のお父さんにその話をしたら
「そら行かんといかんわ。親として当然やが」
とはっきり言ったらしい。
私は「お父さんならそう言ってくれるって思ったよ。
お父さんありがとう!!」
と、お母さんの携帯にメールした。

もうメールも出来なくなったお父さんだが、
それを見て目にいっぱい涙を溜めていたそうだ。
これがお父さんに言った最後の「ありがとう!!」になるかもしれない。
水谷さんとお父さんのおかげで、指揮者の
広上淳一さんや土田浩先生と一緒に
写真を撮ることも出来た。



広上淳一さんや土田浩先生







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Posted by あっこちゃん at 15:42│Comments(1)家族音楽つながり
この記事へのコメント
第一線で活躍しておられる著名なプレイヤーが一堂に介し、満員の聴衆を魅了した宮崎国際音楽祭。
素敵な会場での素敵な方々との出会い。
そして、それを叶えてくれたお父さんと宮崎中央新聞の水谷編集長。
明子さん、浩子さんにとって、生涯忘れられない至福の時間となったのではないでしょうか?
写真からも、感動冷めやらぬお二人の表情がしっかり伝わってきます。
しかし、至福の時間というものは、何故かアッという間に過ぎ去ってしまいます。
時間とは、実に不思議なものです。

少し話が長くなりますが……(;^_^)
私達が生きている世界は、1分60秒、1時間60分、1日24時間と決まっています。
地球上の何処へ行っても変わることはありません。
しかし、1分60秒、1時間60分、1日24時間と決まっていない世界が、この地球上にあるのをご存じでしょうか?
しかも、それは私達の最も身近にあるのです。
もうお気付きですね。
それは、肉眼では決して見る事の出来ない心の世界です。
そこでは、1分60秒、1時間60分、1日24時間とは決まっていません。
時間の長さは、その一瞬が楽しいか、嬉しいか、辛いか、苦しいかによって決まります。
楽しい時は、1時間でも一瞬のように感じられ、辛い時は、僅か数分でも何時間にも感じられるのは、その為です。

ここで質問です。
私達が生きているのは、どちらの世界でしょうか?
1分60秒、1時間60分、1日24時間と決まっている世界か、それとも決まっていない世界か?
仏教に「三界唯心(さんがいゆいしん)」という言葉があります。
すべてを心が作り出しているという仏教の世界観ですが、実を言いますと、私達が生きているのは、1時間60分と決まっていない心の世界なのです。
宮崎国際音楽祭が至福の時間であればあるほど、お二人には短く感じられた筈です。
それは、お二人が、素晴らしい演奏を肉体の耳ではなく、心の耳で聞いておられたからです。
肉体は、間違いなく1時間60分の世界にありました。
しかし、お二人が演奏を聴いておられたのは、1時間60分の世界ではありません。
お二人は、1時間60分ではない心の世界で、演奏を聴いておられたのです。
その証拠に、もし素人の私が、演奏者の中に混じって、耳障りなバイオリンの音を鳴らしたとしたらどうでしょうか?
間違いなく、僅か数分の時間でさえ、何時間もの長さに感じる筈です(笑)
「こんな素晴らしい演奏をもっと聞いていたい」という至福の心が時間を短く感じさせ、「こんな拙い演奏は早く終わらせて欲しい」という苦痛にゆがんだ心が時間を長く感じさせているのです。

前置きが長くなりましたが、何が言いたいのかと言いますと、人間は肉体だけで生きている訳ではないという事です。
当然の事ですが、肉体は、70年、80年で寿命を迎えます。
最近は、100歳を越える人も増えているそうですが、それでもいつか最後を迎えなければなりません。
しかし、心の世界には、その寿命がありません。
寿命がありませんから、死もありません。
つまり、心と心でつながっている世界、心と心で生きている世界では、肉体の有無は関係ないのです。
肉体が無くても、心の世界でつながっている限り、いつまでも生き続けられるのはその為です。
聞いただけでは、中々理解し難いかも知れませんが、もう少し辛抱して聞いてください。
よく残された奥さんが、「死んだ夫は、今でも私の心の中で生きています」と言っているのを聞いた事があると思いますが、これは嘘ではありません。
その奥さんは、死んだと思いたくないから、「心の中で生きています」とやせ我慢を言っている訳ではないのです。
奥さんが、「死んだ夫は、心の中で生きています」と言えるのは、ご主人との間で生きてきた心の世界に、楽しい思い出がいっぱい詰まっているからです。
奥さんの言葉を聞けば、ご主人と共に生きた心の世界がどれほど充実し、楽しかったかが分ります。
これは、親子の間であっても全く変わりません。

何故私がこんな話をしようと思ったのかと言いますと、下の文章を読み、お父さんが生きている心の世界を皆さんにお伝えしたいと思ったからです。

>朦朧とした意識のお父さんにその話をしたら、「そら行かんといかんわ。親として当然やが」とはっきり言ったらしい。
私は「お父さんならそう言ってくれるって思ったよ。お父さんありがとう!!」と、お母さんの携帯にメールした。
もうメールも出来なくなったお父さんだが、それを見て目にいっぱい涙を溜めていたそうだ。
これがお父さんに言った最後の「ありがとう!!」になるかもしれない。

もしこの世に、肉体だけで生きている世界しかなく、1時間60分、1日24時間と決まっているとすれば、お父さんと一緒に居られる楽しい時間は、もうそう長くないかも知れません。
でも、今お話したように、お二人には、お父さんと生きて来られた、楽しい思い出がいっぱい詰まった心の世界があります。
しかも、その世界こそが、皆さんが今まで生きて来られ、肉体の死では決して終わらせる事の出来ない真実の世界なのです。
勿論、その世界には死も寿命もありません。
つまり、お父さんは、心の世界がなくならない限り、これからも、お二人の心の中で生き続けていかれるという事です。
だとすれば、もっともっと楽しい思い出をいっぱい作って、これからの人生をより豊かで有意義なものにしたいと思いませんか?
少なくとも、お父さんはそう思っておられる筈です。
だからこそ、意識が朦朧としているにも拘らず、「そら行かんといかんわ。親として当然やが」とおっしゃったのです。
お父さんが、そうおっしゃったのは、お二人に、楽しい思い出をいっぱい作ってあげたいと思っている証拠です。
それは、お父さんにとっても、楽しい思い出になる筈です。
「お父さんならそう言ってくれるって思ったよ。お父さんありがとう!!」という明子さんからの返信を見て涙を流されたのは、楽しい思い出がまた一つ増え、自分の思いが伝わったと確信されたからではないでしょうか?
こんな事を言っては失礼ですが、ブログを拝見する限り、1時間60分の世界では、お父さんに残された時間は、もうそれほど長くはないでしょう。
しかし、皆さんがこれからも心の世界に生き続けていかれる限り、お父さんとの交流が終わる事はありません。
「これがお父さんに言った最後の「ありがとう!!」になるかもしれない」と書いておられますが、決して最後ではありませんよ。
どうかその事だけは、忘れないで下さい。
そして、これからも何度だって「ありがとう」と言ってあげて下さい。
Posted by 大西良空 at 2015年05月20日 19:19
 
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そら行かんといかんわ。親として当然やが・・・「諏訪内晶子 成熟のアンサンブル」
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