2014年08月17日
成長した考くん。
教え子の内田孝一くんから、声優部ベーシッククラス修了発表会の
DVDが送られてきた。
孝くんはシステムエンジニアと言うジャンルの
サラリーマンをしながら、声優の勉強もしている。
年齢は28歳。
お正月、串間に帰って来たとき、その成果を一度聴かせてもらったが
今度はまた、更に成長していた。
約80分くらいの劇で、橘右近という名前の
会社の先輩の役で出ていた。
なかなか孝くんが出てこないので、いつ出るのだろうと
目を凝らして見ていた。
出てきた! 出てきた!
声も出ているし、仕草もなかなかのものだった。
あの小さかった孝くんが、あの泣き虫だった孝くんがこんなに成長して…
と、すごく感動した。
一方で私は…と言えば、年をとるだけで
何にも成長していないとつくづく思った。
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Posted by あっこちゃん at 14:53│Comments(4)
│つながり
この記事へのコメント
うひゃぁありがとうございます!
自分で見返すとまだまだのところが多くて恥ずかしい気持ちもありますが、それでも観て欲しかったのでやっぱり嬉しいです!
あっこ先生も成長してますよ!
成長してるかどうかなんて自分じゃなかなか気づけないものです。
でも、あっこ先生は成長してますよ!
周りに聞けば教えてくれますよ。大なり小なり、その人からみたあっこ先生の成長っぷりを。
今ブログ書いてるんだよって昔の先生自身が知ったら信じます?
これって大成長ですよね!
自分で見返すとまだまだのところが多くて恥ずかしい気持ちもありますが、それでも観て欲しかったのでやっぱり嬉しいです!
あっこ先生も成長してますよ!
成長してるかどうかなんて自分じゃなかなか気づけないものです。
でも、あっこ先生は成長してますよ!
周りに聞けば教えてくれますよ。大なり小なり、その人からみたあっこ先生の成長っぷりを。
今ブログ書いてるんだよって昔の先生自身が知ったら信じます?
これって大成長ですよね!
Posted by コウイチ@卒業生 at 2014年08月17日 15:45
>年をとるだけで何も成長していない?
随分ご謙遜なさっておられますね(笑)
私の事を仰っておられるなら分かりますが、明子さんが何も成長していないという事はありえないと思いますよ。
人生には、楽しい事も多々ありますが、悲しい事、辛い事、泣きたい事、腹の立つ事、苦しい事の方が多いものです。
好むと好まざるとに拘らず、山あり谷ありの人生を生きてゆかねばならない私達ですが、だからこそ、様々な試練の中で忍耐や許しの心を学んだり、人の優しさに触れて感動したり、相手の気持ちに寄り添えるようになったり、様々な事を学びながら成長していけるのだと思います。
「艱難辛苦は汝を玉にする」という言葉がありますが、明子さんは、医療事故に逢って全身麻痺の後遺症を負いながら、今日まで懸命に命の時を刻んで来られました。
これほどの苦しみはないという過酷な試練を背負った二十歳の時から、今日に至るまでの道のりは、明子さんがどれほど成長してきたかを示す貴重な記録です。
過酷な試練に負けることなく懸命に生きる姿は、周囲の人々に、生きる勇気と希望を与え、生きることの意味を私達に語りかけてくれています。
そんな明子さんは、私の眼から見れば、成長株の筆頭だと思いますが、どうもご本人にはその自覚が余りないようです。
困りましたね(笑)
日本人の平均寿命は83歳で、少しずつ伸びているそうですが、そうは言っても、人の一生など、長く生きてせいぜい百年でしょう。
悠久の時を刻む宇宙に比べれば、瞬きする間もないほど短い一生です。
その限りある一生をどう生きるかは、勿論個人の自由ですが、生き方次第によっては、短い一生を永遠の一生にすることだって可能だと思います。
万里の長城を築いた秦の始皇帝は、ご存じですね。
始皇帝が、不老不死の仙薬を求めて、徐福という道教の占い師を、東方にある蓬莱国へ遣わし、仙人を連れてくるよう命じた話が、司馬遷の『史記』に書かれていますが、結局、徐福は始皇帝の元へ戻らず、不老不死の妙薬も見つからず、始皇帝は永遠に生きたいという願いも虚しく、この世を去りました。
一方、真言密教を開かれた弘法大師は、苦しむ人々を救うため、いまも紀州高野山に生き続けていると信じられています。
四国八十八ヶ所霊場には、弘法大師に救われた人々がいかに多いかを示す証が、いっぱい残されています。
不老不死の仙薬を見つけられずに亡くなった秦の始皇帝と、いまも生き続けていると信じられている弘法大師。
このお二人の生き方のどこが違うのか?
答えは簡単です。
「永遠に生きたい」と願ったのか、それとも「永遠を生きたい」と願ったのか、たったそれだけの違いです。
真の始皇帝は「永遠に生きたい」と願ったのに対し、弘法大師は「永遠を生きたい」と願い、いまも永遠を生き続けておられるのです。
「永遠に生きたい」とは、文字通り、一日でも長く生きたいという意味で、生きる時間の長さだけが重要です。
それに対し、「永遠を生きたい」とは、永遠に通じる普遍的な生き方をしたいという意味ですから、そこで大切なのは、生きる時間の長さではなく、限られた命をいかに生きるかという生き様です。
永遠に通じる生き方とは、何百年後であっても、何千年後であっても、人々に感銘を与えるような生き方をする事ですが、もしそんな生き方が出来れば、その人は、何年経っても生き続ける「永遠を生きる人」と言っていいでしょう。
さて、翻って明子さんの人生を見てみましょう。
先ほどもお話したように、全身麻痺の後遺症を背負いながら、過酷な試練にも負けずに懸命に生きている姿は、多くの人々に勇気と希望を与えています。
それは、明子さんの生きる姿が、永遠に通じる普遍的な生き方だからではないでしょうか。
このような生き方は、願って出来るものではありません。
誤解を恐れずに言えば、全身麻痺の後遺症を与えられたから、そのような生き方が出来る機会を与えられたのです。
明子さんの人生は、もはや成長という言葉では言い尽くせません。
まさに「永遠を生きる」という言葉に相応しい人生だと思います。
ご本人は余り自覚されていないようですが、このような生き方が出来る機会を与えられた明子さんは、誰よりも幸せなのかも知れません(^^)
随分ご謙遜なさっておられますね(笑)
私の事を仰っておられるなら分かりますが、明子さんが何も成長していないという事はありえないと思いますよ。
人生には、楽しい事も多々ありますが、悲しい事、辛い事、泣きたい事、腹の立つ事、苦しい事の方が多いものです。
好むと好まざるとに拘らず、山あり谷ありの人生を生きてゆかねばならない私達ですが、だからこそ、様々な試練の中で忍耐や許しの心を学んだり、人の優しさに触れて感動したり、相手の気持ちに寄り添えるようになったり、様々な事を学びながら成長していけるのだと思います。
「艱難辛苦は汝を玉にする」という言葉がありますが、明子さんは、医療事故に逢って全身麻痺の後遺症を負いながら、今日まで懸命に命の時を刻んで来られました。
これほどの苦しみはないという過酷な試練を背負った二十歳の時から、今日に至るまでの道のりは、明子さんがどれほど成長してきたかを示す貴重な記録です。
過酷な試練に負けることなく懸命に生きる姿は、周囲の人々に、生きる勇気と希望を与え、生きることの意味を私達に語りかけてくれています。
そんな明子さんは、私の眼から見れば、成長株の筆頭だと思いますが、どうもご本人にはその自覚が余りないようです。
困りましたね(笑)
日本人の平均寿命は83歳で、少しずつ伸びているそうですが、そうは言っても、人の一生など、長く生きてせいぜい百年でしょう。
悠久の時を刻む宇宙に比べれば、瞬きする間もないほど短い一生です。
その限りある一生をどう生きるかは、勿論個人の自由ですが、生き方次第によっては、短い一生を永遠の一生にすることだって可能だと思います。
万里の長城を築いた秦の始皇帝は、ご存じですね。
始皇帝が、不老不死の仙薬を求めて、徐福という道教の占い師を、東方にある蓬莱国へ遣わし、仙人を連れてくるよう命じた話が、司馬遷の『史記』に書かれていますが、結局、徐福は始皇帝の元へ戻らず、不老不死の妙薬も見つからず、始皇帝は永遠に生きたいという願いも虚しく、この世を去りました。
一方、真言密教を開かれた弘法大師は、苦しむ人々を救うため、いまも紀州高野山に生き続けていると信じられています。
四国八十八ヶ所霊場には、弘法大師に救われた人々がいかに多いかを示す証が、いっぱい残されています。
不老不死の仙薬を見つけられずに亡くなった秦の始皇帝と、いまも生き続けていると信じられている弘法大師。
このお二人の生き方のどこが違うのか?
答えは簡単です。
「永遠に生きたい」と願ったのか、それとも「永遠を生きたい」と願ったのか、たったそれだけの違いです。
真の始皇帝は「永遠に生きたい」と願ったのに対し、弘法大師は「永遠を生きたい」と願い、いまも永遠を生き続けておられるのです。
「永遠に生きたい」とは、文字通り、一日でも長く生きたいという意味で、生きる時間の長さだけが重要です。
それに対し、「永遠を生きたい」とは、永遠に通じる普遍的な生き方をしたいという意味ですから、そこで大切なのは、生きる時間の長さではなく、限られた命をいかに生きるかという生き様です。
永遠に通じる生き方とは、何百年後であっても、何千年後であっても、人々に感銘を与えるような生き方をする事ですが、もしそんな生き方が出来れば、その人は、何年経っても生き続ける「永遠を生きる人」と言っていいでしょう。
さて、翻って明子さんの人生を見てみましょう。
先ほどもお話したように、全身麻痺の後遺症を背負いながら、過酷な試練にも負けずに懸命に生きている姿は、多くの人々に勇気と希望を与えています。
それは、明子さんの生きる姿が、永遠に通じる普遍的な生き方だからではないでしょうか。
このような生き方は、願って出来るものではありません。
誤解を恐れずに言えば、全身麻痺の後遺症を与えられたから、そのような生き方が出来る機会を与えられたのです。
明子さんの人生は、もはや成長という言葉では言い尽くせません。
まさに「永遠を生きる」という言葉に相応しい人生だと思います。
ご本人は余り自覚されていないようですが、このような生き方が出来る機会を与えられた明子さんは、誰よりも幸せなのかも知れません(^^)
Posted by 大西良空 at 2014年08月24日 13:30
孝くんへ
串間では、カナもカンミも
佐々木さんも見たって!
孝くんがスマートになっているのに、
ビックリしてたよ!
串間では、カナもカンミも
佐々木さんも見たって!
孝くんがスマートになっているのに、
ビックリしてたよ!
Posted by あっこちゃん
at 2014年08月31日 07:39

いろんな人に見てもらえてとても嬉しいです!実力はアレですが。
でもだからこそ、これからどんどん成長していく僕を見ていてください!
でもだからこそ、これからどんどん成長していく僕を見ていてください!
Posted by コウイチ@卒業生 at 2014年09月02日 00:29