2015年03月30日

見山先生、ありがとう!




最近は全く予定の立たない生活をしている。
そんなこともあり、3月19日、20日の高千穂町の伝説を
題材にしたオペラ『鬼八』(主催 宮崎県オペラ協会)を
観に行きたいと思いながらも、
お母さんは私の車椅子の移乗が無理なので、
言えないまま明日に迫っていた。

18日、串間から来たお母さんはお父さんの病院に行くのに、
道の駅「フェニックス」で差し入れの買い物をしていたらしい。

車の中に置いていた携帯電話にオペラ協会会長の見山靖代先生から
着信が入っていたので、すぐに電話したそうだ。

「車椅子席と介助席がとってあります。来られますか?」
と言われ、お母さんも行きたくてうずうずしていたので
「19日の公演に行きます!」
と即答。

入院しているお父さんにその話をしたら、
「そら、行かんといかんわー」
という反応。

急遽、コーディネーターに車の手配をしてもらい
行くことになった。

オペラ合唱団の子ども達の演技や合唱もきれいで、
照明も素晴らしく本当に行ってよかったと思った。

諦めずに誘ってくれた見山先生に感謝します。






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Posted by あっこちゃん at 05:49│Comments(1)音楽つながり
この記事へのコメント
宮崎の桜はもうそろそろ散っている頃でしょうか?
法徳寺の境内にある43本のソメイヨシノは、昨日ようやく開花しました。
昨年は4月4日でしたから、3日早い開花となりましたが、甲府市内はいま満開です。
法徳寺は甲府から一週間ほど遅れての開花ですが、お天気がよいので、このままのペースで進めば、一週間もしない内に満開を迎えそうです。
写真を添付出来ないのが、とても残念です。

楽しみにしていたオペラ公演が見られたのは何よりでした。
見山靖代先生から、オペラ公演への招待があったのは、きっと明子さんが、オペラ公演を見たいという強い気持ちを持ち続けていたからでしょう。
もし諦めて、その気持を捨てていたら、多分こんな素敵なお計らいはなかったと思います。
今回のオペラ公演への招待は、求める気持ち、諦めない気持を持つ事の大切さを教えてくれた招待でもあったのではないでしょうか。

実を言いますと、信仰の世界にも同じ事が言えます。
いつもお寺で、お参りされた皆さんに説法をしていますと、不思議な事に、同じように説法しているのに、どんどん救われていくお方と、何度話を聞いても救われていかないお方がおられます。
勿論、私自身は、お参りされた皆さんを分け隔てして説法している訳ではありません。
どなたにも平等に説法しているのですが、それにも拘らず、どうしても二組のグループに分れてしまうのです。
何故だと思いますか?
気持の持ち方が全く違うからです。
苦しみや悩みのある人は、救われたいと思ってお参りしていますから、どうすれば救われるかを、私の説法から汲み取ろうと、必死になって聞いています。
それに対し、苦しみのない人は、ただ耳を明けて聞いているだけです。
私の説法をただ耳で聞きに来ている人と、救いを求めて来ている人とでは、説法を聞く姿勢も気持の持ち方も全然違います。
結果が違ってくるのは、当然ですね(笑)

私の拙い体験談をお話しますと、信仰に関して、父の方から一方的に教えられた事は一度もありませんでした。
父が教えてくれるのは、私が疑問を投げかけたり、尋ねたり、求めたりした時だけでした。
今にして思えば、父は、私が疑問を抱き、救いを求めて来るのを、ジーッと我慢して待ってくれていたんだと思います。
もし私が何も求めていないのに、父の方から、一方的に、ああしろ、こうしろと言われていたら、多分、反発して信仰の世界に背を向けていたでしょう。
多分、何も身に付いていなかったと思います。
分からない事や疑問に思っている事をこちらから尋ねて、初めて父から答えが返ってくる訳ですから、心の中に、スーッと入ってきます。
身に付くのが当然です。
「物事を学ぶというのは、こういう事なんだ。人を導くとは、こういう事なんだ」という事を、父から教えられました。
教える側の忍耐と、求める側の求める気持が、とても大事なんです。
話が脱線しますが、今の学校教育は、学ぶ生徒の求める気持を全く育てないで、先生の方から一方的に知識を詰め込むだけの缶詰教育じゃないでしょうか。
だから、生徒達は反発して、何も身に付かないから、落ちこぼれていく子供達は、益々学校から遠ざかっていきます。
学ぶ方じゃなく、教える方に大きな問題がありそうです。
蓮如聖人の歌に
 阿弥陀には へだつ心はなけれども
   蓋ある水に 月は宿らじ
という歌がありますが、心に蓋をしていては、救いの光も入りません。
求める気持ちが起きるまで、ジーッと辛抱して待つだけの忍耐と度量がなければ、人を育てる事も、教える事も出来ません。
求める方も大変ですが、与える方がもっと大変なんです(笑)
「諦めずに誘ってくれた見山先生に感謝します」と書いておられますが、諦めなかった先生には感謝しかありませんね。
今回のオペラ公演への招待は、先生の諦めない心と、明子さんの諦めずに求め続けた心がつながって、引き寄せた結果と言っていいでしょう。
どんな事でも、諦めずに、求め続ければ、必ず結果は付いてきます。
これからもその気持を忘れず、素敵な結果をどんどん招き寄せて下さい(^_^)
Posted by 大西良空 at 2015年04月02日 17:06
 
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見山先生、ありがとう!
    コメント(1)