2015年01月18日
服部潤さんの「日日是好日」。
12月のスローライフのとき、銀座で作品展を開いて
帰って来たばかりの服部潤さんも出席していた。
「私とお母さんに…」と、おしゃれな額縁に入った作品を
プレゼントしてくれた。
私にはオレンジ色に白の柄の湯のみが書いてあって
「日日是好日」とあった。
聞いたことがある言葉だけど、意味はわからなかった。
「つらい日や悲しい日も自分を育む大切な一日であると考え、
一日一日を手抜きなく過ごしてゆく気持ちが肝要である」
という言葉だと説明してあった。
これも私のテーブルの透明なクロスにはさんで、
いつも読んでいる。
服部潤さんは3カ月に1回スローライフで会うだけだが、
やはり真からの優しさがあると思う。
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帰って来たばかりの服部潤さんも出席していた。
「私とお母さんに…」と、おしゃれな額縁に入った作品を
プレゼントしてくれた。
私にはオレンジ色に白の柄の湯のみが書いてあって
「日日是好日」とあった。
聞いたことがある言葉だけど、意味はわからなかった。
「つらい日や悲しい日も自分を育む大切な一日であると考え、
一日一日を手抜きなく過ごしてゆく気持ちが肝要である」
という言葉だと説明してあった。
これも私のテーブルの透明なクロスにはさんで、
いつも読んでいる。
服部潤さんは3カ月に1回スローライフで会うだけだが、
やはり真からの優しさがあると思う。
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Posted by あっこちゃん at 22:18│Comments(1)
│つながり
この記事へのコメント
お坊さんの私がいうのも可笑しな話ですが、あの世が有るのか無いのか、まだ一度も死んだ事がないのでよく分りませんが(笑)、仮にあの世が有っても無くても、私達には余り関係がないように思います。
何故かと言うと、私達が生きられるのは、今という時しかないからです。
頭で考えると、明日も明後日もあるように思えますが、生きられるのは、明日の今、明後日の今だけです。
50年後であっても、50年後の今、仮にあの世があっても、あの世の今しか生きられません。
つまり、私達には永遠に今という時しか与えられていないという事です。
そう考えると、大事なのは「今をどう生きるか、今日をどう生きるかだ」という事も分ってきます。
「日日是好日」という言葉には、「二度とない今をどう生きるか、どう生きたいかを考えて欲しい」という願いが込められているんですね。
人にはみな寿命があります。
若くして亡くなる人もいれば、長命の人もいます。
健康な人もいれば、病気の人もいます。
明子さんのように、医療事故で不自由な暮らしを強いられている人もいれば、そうでない人もいます。
これは、一見不平等のように見えます。
でも、私は、そうは思いません。
短命であれ、長命であれ、健康であれ、病気であれ、体が不自由であれ、自由であれ、今という時しか与えられていない点では、みな平等だからです。
短命と長命の違いは、その今が何年間巡ってきたかの違いに過ぎません。
健康と病気、体の不自由と自由の間には、今しか生きられない点では、何の違いもありません。
違いは、「今をどのように生きるか」という中味だけです。
勿論、今を生きる上で、体の不自由な人と自由な人とでは、生き方の上で自ずと違いが出てくるのはやむを得ません。
しかし、生き方の中味の濃さという点で言えば、違いはないと思います。
その中味が濃い人ほど、人生を豊かに生きた人と言えるのではないかと思いますが、失礼な言い方をお許し頂ければ、服部さんや明子さんは、中味の濃い生き方をしている代表格ではないでしょうか。
世の中には、長生きしたいと思っている人も大勢いると思います。
勿論、長生き出来るに越した事はないでしょうが、ただ長生きしても余り意味がありません。
私は長生きより、中味の濃い生き方がしたいですね。
口で言うほど簡単ではありませんが、気持ちだけは、いつもそうありたいと願っています。
さて、今日は、初大師法要の日です。
10時から初大師法要が始まり、その後で、1時間ほど法話をします。
お昼からは、キーボードを弾きながら、お参りの皆さんと一緒に、聖歌を御本尊様に奉納します。
忙しい一日になりそうですが、今日も一日、心豊かにお過ごし下さい(^_^)
何故かと言うと、私達が生きられるのは、今という時しかないからです。
頭で考えると、明日も明後日もあるように思えますが、生きられるのは、明日の今、明後日の今だけです。
50年後であっても、50年後の今、仮にあの世があっても、あの世の今しか生きられません。
つまり、私達には永遠に今という時しか与えられていないという事です。
そう考えると、大事なのは「今をどう生きるか、今日をどう生きるかだ」という事も分ってきます。
「日日是好日」という言葉には、「二度とない今をどう生きるか、どう生きたいかを考えて欲しい」という願いが込められているんですね。
人にはみな寿命があります。
若くして亡くなる人もいれば、長命の人もいます。
健康な人もいれば、病気の人もいます。
明子さんのように、医療事故で不自由な暮らしを強いられている人もいれば、そうでない人もいます。
これは、一見不平等のように見えます。
でも、私は、そうは思いません。
短命であれ、長命であれ、健康であれ、病気であれ、体が不自由であれ、自由であれ、今という時しか与えられていない点では、みな平等だからです。
短命と長命の違いは、その今が何年間巡ってきたかの違いに過ぎません。
健康と病気、体の不自由と自由の間には、今しか生きられない点では、何の違いもありません。
違いは、「今をどのように生きるか」という中味だけです。
勿論、今を生きる上で、体の不自由な人と自由な人とでは、生き方の上で自ずと違いが出てくるのはやむを得ません。
しかし、生き方の中味の濃さという点で言えば、違いはないと思います。
その中味が濃い人ほど、人生を豊かに生きた人と言えるのではないかと思いますが、失礼な言い方をお許し頂ければ、服部さんや明子さんは、中味の濃い生き方をしている代表格ではないでしょうか。
世の中には、長生きしたいと思っている人も大勢いると思います。
勿論、長生き出来るに越した事はないでしょうが、ただ長生きしても余り意味がありません。
私は長生きより、中味の濃い生き方がしたいですね。
口で言うほど簡単ではありませんが、気持ちだけは、いつもそうありたいと願っています。
さて、今日は、初大師法要の日です。
10時から初大師法要が始まり、その後で、1時間ほど法話をします。
お昼からは、キーボードを弾きながら、お参りの皆さんと一緒に、聖歌を御本尊様に奉納します。
忙しい一日になりそうですが、今日も一日、心豊かにお過ごし下さい(^_^)
Posted by 大西良空 at 2015年01月21日 09:25