2014年09月07日
生きちょったどゴルフコンペ。
8月27日にお父さんの友達12人で、
「病院脱出! 生きちょったどゴルフコンペ」をした。
夜はまた、20人くらいで飲み方*だったらしい。
その日はお父さんが主役だったので、
もちろんゴルフにも参加したが、
「夜はもう死ぬんじゃないか」
という状態だったと聞いた。
でも、ここまで来れたのがすごい。
3、4、5月の悪い時も、
お母さんは金、土、日とレッスンをしながら私と過ごした。
それが出来たのも小野健三さん恵子さん夫婦、
種子島の清水捷治さん良子さん夫婦が、
お父さんの病院について行ってくれたり
泊まりこんで世話をしてくれたりしたから、
ここまで来れたと思う。
おまけに私の利用しているヤッドの
コーディネーターが、私のリハビリの帰りに
お父さんの病院に寄る時間を作ってくれた。
本当にありがたかった。
お父さんは私の顔を見て、元気になれたんじゃないかな?
まだ入退院の繰り返しだが、きっと大丈夫!
*「飲み方」とは宮崎特有の表現で、飲み会を意味します。
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「病院脱出! 生きちょったどゴルフコンペ」をした。
夜はまた、20人くらいで飲み方*だったらしい。
その日はお父さんが主役だったので、
もちろんゴルフにも参加したが、
「夜はもう死ぬんじゃないか」
という状態だったと聞いた。
でも、ここまで来れたのがすごい。
3、4、5月の悪い時も、
お母さんは金、土、日とレッスンをしながら私と過ごした。
それが出来たのも小野健三さん恵子さん夫婦、
種子島の清水捷治さん良子さん夫婦が、
お父さんの病院について行ってくれたり
泊まりこんで世話をしてくれたりしたから、
ここまで来れたと思う。
おまけに私の利用しているヤッドの
コーディネーターが、私のリハビリの帰りに
お父さんの病院に寄る時間を作ってくれた。
本当にありがたかった。
お父さんは私の顔を見て、元気になれたんじゃないかな?
まだ入退院の繰り返しだが、きっと大丈夫!
*「飲み方」とは宮崎特有の表現で、飲み会を意味します。
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Posted by あっこちゃん at 19:32│Comments(1)
│つながり
この記事へのコメント
次回は是非「死ぬまで生きちゃるぞゴルフコンペ」をして頂きたいものです。
宮崎弁でこの言い方、正しいのかどうか分りませんが、そこは大目に(笑)
その後のお父さんの体調はいかがでしょうか?
闘病生活がいかに大変かは想像に余りありますが、宮崎のお宅へ伺った時のお父さんの満面の笑みが、いまも脳裏にハッキリ焼きついています。
あの笑顔を見た時、さすがは越え難き試練を乗り越えてきた明子さんを産んだお父さんだと、感心し、納得しました。
まさに「この父にして、この子あり」という事が、お会いしてよく分りました。
柳田邦男氏の『死の医学への序章』という本の中に、癌と分かって死期が見えている人は喩えれば死刑囚であり、まだ死期が見えていない人は無期囚であると書かれていますが、刑務所の中で生き生きと生活しているのはどちらだと思われますか?
常識的に考えれば、無期囚だろうと思いますが、実は死刑囚の方なのです。
死刑囚は、必ず死があると決まっていますから、残されたいのちを精一杯生きようとするのに対し、無期囚は、刑務所へ何年入っているのか決まっていないため、どうしても緊迫感がなく、生き生きとした生活が出来ないのです。
まだ死が見えていない無期囚より、死が見えている死刑囚の方が生き生きとした生活をしているというのは、中々面白い結果ですね。
長く生きる事が必ずしも良い結果を生むとは限らないという事です。
大切なのは、やはり生きる中味です。
その中味を意義あるものにするのが、死に対する自覚だというのは、とても示唆に富んでいます。
ところで、人間は死んだらどうなるのでしょうか?
死後の世界は有るのか無いのか?
これは人類にとって最大の謎と言ってもいいでしょうが、その謎に挑まれたお方がいます。
ジャーナリストの立花隆氏ですが、医師から死を宣告されたにも拘らず、再び息を吹き返した数多くの臨死体験者を取材され、死後の世界の解明に挑まれました。
その結果、何が分ったかと言いますと、「あの世が有るのか無いのか、結局のところはよく分からないという事だ」と、その著書『臨死体験』に書いておられます。
元の木阿弥ですね(笑)
しかし、「同時に分った事が二つある」とも書いておられます。
一つは、死ぬ事が怖くなくなった事です。
体験者がほとんど異口同音に、死ぬのが怖くなくなったと言うのを聞くうちに、いつの間にか立花氏も死ぬのが恐くなくなってしまったのです。
臨死体験者の実体験ですから、やはり説得力があります。
もう一つは、死はいつか必ず来るのだから、生きている内はそんな事を考えずに、いかに生きるかを考えなければいけないという事です。
死後の世界の素晴らしさを体験した人は、生きるより死ぬほうがいいと考えるようになるのではないかと思われるかもしれないが、実際には、逆なのである。みんなよりよく生きることへの大きな意欲がわいてくるのである。
それは、なぜか。体験者にいわせると、「いずれ死ぬときは死ぬ。生きることは生きてる間にしかできない。生きてる間は、生きてる間にしかできないことを、思いきりしておきたい」と考えるようになるからであるという。
「生きている内は、生きている内にしか出来ない事を、思いっきりやる」
中々含蓄のある言葉です。
最初に、「次回は是非『死ぬまで生きちゃるぞゴルフコンペ』をして頂きたい」と言いましたが、お父さんにも、生きている内は、生きている内にしか出来ない事を、思いっきりやって頂きたいと思います。
否、これは、お父さんだけの問題ではなく、明子さんにとっても、私にとっても、心しておかなければならない事だと思います。
最後に、私達が忘れてはいけない事が二つあります。
一つは、人間は必ず死ぬという事です。
人よ人 死を見て悲しむことよりも
死のあることを 忘れるな人
という歌がありますが、死は必ずあるという事を、忘れないで下さい。
もう一つは、人間は死ぬまでは間違いなく生きるという事です。
私達の目が前に付いているのは、前を向いて生きていく為ですから、お父さんだけでなく、明子さんもお母さんも私も、すべての人々が、どんなに苦しくても、どんなに辛くても、死ぬまでは、与えられた命を無駄にせず、前を向いて精一杯生きていかなければなりません。
この二つは、勿論当たり前の事です。
しかし、当たり前だからこそ、つい忘れがちになりますし、現に忘れている人が大勢います。
この二つの当たり前を忘れなければ、何があっても決して道に迷う事はありません(^^)
宮崎弁でこの言い方、正しいのかどうか分りませんが、そこは大目に(笑)
その後のお父さんの体調はいかがでしょうか?
闘病生活がいかに大変かは想像に余りありますが、宮崎のお宅へ伺った時のお父さんの満面の笑みが、いまも脳裏にハッキリ焼きついています。
あの笑顔を見た時、さすがは越え難き試練を乗り越えてきた明子さんを産んだお父さんだと、感心し、納得しました。
まさに「この父にして、この子あり」という事が、お会いしてよく分りました。
柳田邦男氏の『死の医学への序章』という本の中に、癌と分かって死期が見えている人は喩えれば死刑囚であり、まだ死期が見えていない人は無期囚であると書かれていますが、刑務所の中で生き生きと生活しているのはどちらだと思われますか?
常識的に考えれば、無期囚だろうと思いますが、実は死刑囚の方なのです。
死刑囚は、必ず死があると決まっていますから、残されたいのちを精一杯生きようとするのに対し、無期囚は、刑務所へ何年入っているのか決まっていないため、どうしても緊迫感がなく、生き生きとした生活が出来ないのです。
まだ死が見えていない無期囚より、死が見えている死刑囚の方が生き生きとした生活をしているというのは、中々面白い結果ですね。
長く生きる事が必ずしも良い結果を生むとは限らないという事です。
大切なのは、やはり生きる中味です。
その中味を意義あるものにするのが、死に対する自覚だというのは、とても示唆に富んでいます。
ところで、人間は死んだらどうなるのでしょうか?
死後の世界は有るのか無いのか?
これは人類にとって最大の謎と言ってもいいでしょうが、その謎に挑まれたお方がいます。
ジャーナリストの立花隆氏ですが、医師から死を宣告されたにも拘らず、再び息を吹き返した数多くの臨死体験者を取材され、死後の世界の解明に挑まれました。
その結果、何が分ったかと言いますと、「あの世が有るのか無いのか、結局のところはよく分からないという事だ」と、その著書『臨死体験』に書いておられます。
元の木阿弥ですね(笑)
しかし、「同時に分った事が二つある」とも書いておられます。
一つは、死ぬ事が怖くなくなった事です。
体験者がほとんど異口同音に、死ぬのが怖くなくなったと言うのを聞くうちに、いつの間にか立花氏も死ぬのが恐くなくなってしまったのです。
臨死体験者の実体験ですから、やはり説得力があります。
もう一つは、死はいつか必ず来るのだから、生きている内はそんな事を考えずに、いかに生きるかを考えなければいけないという事です。
死後の世界の素晴らしさを体験した人は、生きるより死ぬほうがいいと考えるようになるのではないかと思われるかもしれないが、実際には、逆なのである。みんなよりよく生きることへの大きな意欲がわいてくるのである。
それは、なぜか。体験者にいわせると、「いずれ死ぬときは死ぬ。生きることは生きてる間にしかできない。生きてる間は、生きてる間にしかできないことを、思いきりしておきたい」と考えるようになるからであるという。
「生きている内は、生きている内にしか出来ない事を、思いっきりやる」
中々含蓄のある言葉です。
最初に、「次回は是非『死ぬまで生きちゃるぞゴルフコンペ』をして頂きたい」と言いましたが、お父さんにも、生きている内は、生きている内にしか出来ない事を、思いっきりやって頂きたいと思います。
否、これは、お父さんだけの問題ではなく、明子さんにとっても、私にとっても、心しておかなければならない事だと思います。
最後に、私達が忘れてはいけない事が二つあります。
一つは、人間は必ず死ぬという事です。
人よ人 死を見て悲しむことよりも
死のあることを 忘れるな人
という歌がありますが、死は必ずあるという事を、忘れないで下さい。
もう一つは、人間は死ぬまでは間違いなく生きるという事です。
私達の目が前に付いているのは、前を向いて生きていく為ですから、お父さんだけでなく、明子さんもお母さんも私も、すべての人々が、どんなに苦しくても、どんなに辛くても、死ぬまでは、与えられた命を無駄にせず、前を向いて精一杯生きていかなければなりません。
この二つは、勿論当たり前の事です。
しかし、当たり前だからこそ、つい忘れがちになりますし、現に忘れている人が大勢います。
この二つの当たり前を忘れなければ、何があっても決して道に迷う事はありません(^^)
Posted by 大西良空 at 2014年09月11日 11:42