2014年06月02日
最高のプレゼント。
5月25日日曜日、山梨県北杜市にある高野山法徳寺の大西良空さんが
アパートに来てくれた。
山梨から車で約1000キロの道のりを一人で運転して来てくれた。
ポリタンク2個に法徳寺で湧き出た汗露水とよばれる水を汲んで、
お父さんと私にプレゼントしてくれた。
その日私は、「佐伯フェリーに着いた」と大西さんから連絡があってからは、
何度も何度も涙が溢れ出てきた。
本当に来てくれるんだと思った。
世の中にこんな人がいるなんて。
こんなことがあるなんて……。
大西さんは疲れた顔ひとつ見せず、2時半頃から6時半頃まで約4時間、
いろんな話をしてくれた。
その日、お父さんは調子が悪かったのに
大西さんと話してからはすっかり元気になり、
「本当にありがとうございます。元気が出ました!」
と帰りも自分の車を運転して串間に帰った。
あれから一週間、毎日お薬を飲むとき「汗露水」で飲んでいる。
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Posted by あっこちゃん at 20:21│Comments(5)
│つながり
この記事へのコメント
こんばんは。明子先生。先週の日曜日、浩子先生から大西先生が来られると聞いていたので、絶対そのことを、書かれるはずと思って今日の記事を待っていました。
明子先生の仁徳ですよね。山梨から訪ねてこられるなんて。おじちゃんも元気が出てきたということで本当によかったです。「汗露水」とはまさに仏さまの汗と涙の結晶の様で、おじちゃんもよくなってくれるのではないかと思われます。おじちゃんも大変でしょうが、看病する周りの人も大変です。浩子先生、明子先生、ご家族の皆さんも、くれぐれもお気をつけて。おじちゃんの一日も早い回復をお祈りしています。
明子先生の仁徳ですよね。山梨から訪ねてこられるなんて。おじちゃんも元気が出てきたということで本当によかったです。「汗露水」とはまさに仏さまの汗と涙の結晶の様で、おじちゃんもよくなってくれるのではないかと思われます。おじちゃんも大変でしょうが、看病する周りの人も大変です。浩子先生、明子先生、ご家族の皆さんも、くれぐれもお気をつけて。おじちゃんの一日も早い回復をお祈りしています。
Posted by 桃佳の母 at 2014年06月02日 21:54
山梨から宮崎までの行程は、かなりの強行軍でした(笑)
多分、私の生涯で、これが最初で最後の強行軍だと思いますが、思い切って宮崎のお家までお伺いして、よかったと思います。
何よりも先ず、明子さんやお父さんが、思っていたよりお元気だった事です(^^)
こんな事を言っては失礼ですが、お父さんは、余命宣告を受けているお方とは思えないほどお元気で、快活にお話しておられるお姿がとても印象的でした。
こちらの方が圧倒されるほどでした。
前日まで調子が悪かったとの事でしたが、この勢いなら、病気の方が退散してしまうのではないかとさえ思いました。
明子さんも、最初は緊張しておられたようですが、はるばる山梨から宮崎まで押しかけて来られれば、そりゃ誰でも緊張しますよね(笑)
お気に入りのヘルパーさんのような訳にはいきませんでした。
でも、話をしている内に次第に緊張もほぐれ、笑顔が見られるようになりました。
印象的だったのは、私の顔をじっと見つめている明子さんの瞳が、とても澄んで綺麗だった事です。
明子さんとは余りお話出来ませんでしたが、私を見つめる汚れのない瞳こそ、明子さんの本当の姿なのだという事を、身をもって実感しました。
明子さんの澄んだ瞳に出会えた事、これが、今回の訪問で得た私への一番のご褒美だったかも知れません。
お元気なお母さんを中心に、ご家族の皆さんが心を一つにして、困難を克服しようとしておられるお姿には、私も大いに感銘を受けました。
家族の絆というものは、何ものにも勝る宝物であり、どんな試練をも乗り越える底知れぬパワーを秘めています。
どうかこれからも、なお一層ご家族の絆を深められ、いかなる困難にも立ち向かう勇気と明日への希望をもって、力強く前進していって頂きたいと思います。
驚いたのは、このブログを書くのに、お母さんと二人で、何日もかけて書いておられるとお聞きした時です。
パソコンを使ってではなく、携帯電話で一文字ずつ打ち込んでおられると聞いて、二度ビックリしました。
このブログを書くのにも、きっと何日もかかったのではないでしょうか。
今後は、気楽な気持ちで読めなくなりました(笑)
よかった事は、それだけではありません。
実を言いますと、前々からどうしても解けない疑問がありました。
何故、明子さんが、このような医療事故に逢わねばならなかったのか?
お母さんとの共著『ひとさし指から奏でるしあわせ』を読ませて頂いたり、お母さんから頂くお手紙やお話を聞いただけでは、この疑問がどうしても解けず、心の奥底に沈殿していたのです。
その見えない部分が少しでも見えてくれば疑問も解け、より一層適切なアドバイスをさせて頂けるのではないかと思ったのです。
私は僧侶として、いままで様々なお方からご相談を受けてきましたが、直接お会いしなければ分らない事が多々ありました。
それは譬えれば、お医者さんが、患者さんを治療するのに似ています。
お医者さんが患者さんを治療したいと思っても、電話で話を聞いたり、手紙のやり取りをするだけでは、患者さんのどこが悪いのか、どこを治療すればよいのか、生活環境はどうか、ご家族の皆さんとの関係はどうかなど、知りたい事が分りません。
やはり直接、患者さんやご家族に会って話をしたり、聴診器を当てて胸の鼓動を聞いたり、顔の表情や顔色を見たりしなければ、的確な診断も、正しい治療も出来ませんよね。
それと同様、明子さんやご両親に直接お会いして、いままで見えなかった部分が何かを見極めなければ、疑問も解けませんし、何が問題で、どこを変えた方がいいのかという適切なアドバイスも出来ません。
そこでお伺いする決心をしたのですが、思い切って伺った甲斐がありました。
さすがに疲れましたが(笑)、今までどうしても見えなかったものが見えてきたからです。
今回の訪問で、何故明子さんが医療事故に逢わねばならなかったのか、その疑問がようやく解けました。
お父さんのご病気の事も含めて、すべてには原因があります。
いずれまた直接お会いする機会があるでしょうから、その時にお話できればと思っています。
いま言える事は、「救われなければならないお方が、まだ救われていない」という事です。
今はそれしか申し上げられません。
御免なさいねm(_ _)m
最後にもう一度言いますが、お伺いして本当によかったです(^▽^)
多分、私の生涯で、これが最初で最後の強行軍だと思いますが、思い切って宮崎のお家までお伺いして、よかったと思います。
何よりも先ず、明子さんやお父さんが、思っていたよりお元気だった事です(^^)
こんな事を言っては失礼ですが、お父さんは、余命宣告を受けているお方とは思えないほどお元気で、快活にお話しておられるお姿がとても印象的でした。
こちらの方が圧倒されるほどでした。
前日まで調子が悪かったとの事でしたが、この勢いなら、病気の方が退散してしまうのではないかとさえ思いました。
明子さんも、最初は緊張しておられたようですが、はるばる山梨から宮崎まで押しかけて来られれば、そりゃ誰でも緊張しますよね(笑)
お気に入りのヘルパーさんのような訳にはいきませんでした。
でも、話をしている内に次第に緊張もほぐれ、笑顔が見られるようになりました。
印象的だったのは、私の顔をじっと見つめている明子さんの瞳が、とても澄んで綺麗だった事です。
明子さんとは余りお話出来ませんでしたが、私を見つめる汚れのない瞳こそ、明子さんの本当の姿なのだという事を、身をもって実感しました。
明子さんの澄んだ瞳に出会えた事、これが、今回の訪問で得た私への一番のご褒美だったかも知れません。
お元気なお母さんを中心に、ご家族の皆さんが心を一つにして、困難を克服しようとしておられるお姿には、私も大いに感銘を受けました。
家族の絆というものは、何ものにも勝る宝物であり、どんな試練をも乗り越える底知れぬパワーを秘めています。
どうかこれからも、なお一層ご家族の絆を深められ、いかなる困難にも立ち向かう勇気と明日への希望をもって、力強く前進していって頂きたいと思います。
驚いたのは、このブログを書くのに、お母さんと二人で、何日もかけて書いておられるとお聞きした時です。
パソコンを使ってではなく、携帯電話で一文字ずつ打ち込んでおられると聞いて、二度ビックリしました。
このブログを書くのにも、きっと何日もかかったのではないでしょうか。
今後は、気楽な気持ちで読めなくなりました(笑)
よかった事は、それだけではありません。
実を言いますと、前々からどうしても解けない疑問がありました。
何故、明子さんが、このような医療事故に逢わねばならなかったのか?
お母さんとの共著『ひとさし指から奏でるしあわせ』を読ませて頂いたり、お母さんから頂くお手紙やお話を聞いただけでは、この疑問がどうしても解けず、心の奥底に沈殿していたのです。
その見えない部分が少しでも見えてくれば疑問も解け、より一層適切なアドバイスをさせて頂けるのではないかと思ったのです。
私は僧侶として、いままで様々なお方からご相談を受けてきましたが、直接お会いしなければ分らない事が多々ありました。
それは譬えれば、お医者さんが、患者さんを治療するのに似ています。
お医者さんが患者さんを治療したいと思っても、電話で話を聞いたり、手紙のやり取りをするだけでは、患者さんのどこが悪いのか、どこを治療すればよいのか、生活環境はどうか、ご家族の皆さんとの関係はどうかなど、知りたい事が分りません。
やはり直接、患者さんやご家族に会って話をしたり、聴診器を当てて胸の鼓動を聞いたり、顔の表情や顔色を見たりしなければ、的確な診断も、正しい治療も出来ませんよね。
それと同様、明子さんやご両親に直接お会いして、いままで見えなかった部分が何かを見極めなければ、疑問も解けませんし、何が問題で、どこを変えた方がいいのかという適切なアドバイスも出来ません。
そこでお伺いする決心をしたのですが、思い切って伺った甲斐がありました。
さすがに疲れましたが(笑)、今までどうしても見えなかったものが見えてきたからです。
今回の訪問で、何故明子さんが医療事故に逢わねばならなかったのか、その疑問がようやく解けました。
お父さんのご病気の事も含めて、すべてには原因があります。
いずれまた直接お会いする機会があるでしょうから、その時にお話できればと思っています。
いま言える事は、「救われなければならないお方が、まだ救われていない」という事です。
今はそれしか申し上げられません。
御免なさいねm(_ _)m
最後にもう一度言いますが、お伺いして本当によかったです(^▽^)
Posted by 大西良空 at 2014年06月03日 13:14
はじめまして 私は坂中喜明君と大学時代東京の目黒区祐天寺の下宿で同じ釜の飯を食べた仲間です。遠い栃木県に住んでいます。4月の中旬ごろ携帯のメールで入院したと連絡があり,何回かメールのやりとりしました。ずっと心配してましたが,先日 浩子さんと携帯でお話しした際に大西良空師のお話を聞き大いに感動しました。そのとき 明子さんのブログのことも聞きアクセスしました。もう30年以上も前になりますが友人と鹿児島市に行く機会があり 串間の坂中家に寄りました。その時小学生位の女子がピアノを弾いていました。その子が明子さんだったのですね。思い出すと懐かしい気持ちになりますが,つらい気持ちにもなります。
今 病と懸命に闘っている喜明君の回復を心から願っております。
今 病と懸命に闘っている喜明君の回復を心から願っております。
Posted by 飯田勝利 at 2014年06月05日 21:05
桃ちゃんのお母さん
いつもいつもありがとうございます。
いろいろ新鮮な野菜を持って来てもらって
元気が出ます。
お父さんも頑張っています。
リハビリの帰り、病院に寄るのが私の仕事になりました。
こんなときしか私が役立つことはないので…
頑張ります!
いつもいつもありがとうございます。
いろいろ新鮮な野菜を持って来てもらって
元気が出ます。
お父さんも頑張っています。
リハビリの帰り、病院に寄るのが私の仕事になりました。
こんなときしか私が役立つことはないので…
頑張ります!
Posted by あっこちゃん
at 2014年06月14日 22:55

飯田さん、ありがとうございます。
お母さんに聞いたら、30年位前に応接間で
ピアノを弾いていたのは私だったそうです。
又、宮崎に遊びに来て下さいね!
お母さんに聞いたら、30年位前に応接間で
ピアノを弾いていたのは私だったそうです。
又、宮崎に遊びに来て下さいね!
Posted by あっこちゃん
at 2014年06月14日 22:58
