2013年10月01日
18年目の9月5日
9月5日、私がこんな体になって18年目を迎えた。
迎えた…と言うのもおかしいが、今まで毎年、
この日になると、元気な頃のことを思い出していた。
そして「もしも私がこんな体にならなかったら…」
といろいろなことを想像していた。
だけど今年は、すっかり忘れていた。
9月5日が過ぎても思い出しもしなかった。
後で母にその話をすると
「そうなんだ~。お母さんはやはり、
9月5日のあの時間になると気分が悪くなるんだよね~」
と言っていた。
今年は何で忘れていたんだろう?と思った。
6月からずっと、大西さんから手紙やブログに
コメントをもらいはじめて、いつも元気づけられている。
それで、私の心の中が変化したのではないか…と思った。
迎えた…と言うのもおかしいが、今まで毎年、
この日になると、元気な頃のことを思い出していた。
そして「もしも私がこんな体にならなかったら…」
といろいろなことを想像していた。
だけど今年は、すっかり忘れていた。
9月5日が過ぎても思い出しもしなかった。
後で母にその話をすると
「そうなんだ~。お母さんはやはり、
9月5日のあの時間になると気分が悪くなるんだよね~」
と言っていた。
今年は何で忘れていたんだろう?と思った。
6月からずっと、大西さんから手紙やブログに
コメントをもらいはじめて、いつも元気づけられている。
それで、私の心の中が変化したのではないか…と思った。
薬を飲み飲み、出かけて楽しんだ。
県病院の耳鼻科にて。
悔しさ、惨めさ、情けなさ、痛みを経験したからわかる。
私の歌『ありがとう~ひとさし指から奏でるしあわせ』。
頼りにしてます、ヘルパーさん。
ピアノをやっていてよかった…両親に感謝!
県病院の耳鼻科にて。
悔しさ、惨めさ、情けなさ、痛みを経験したからわかる。
私の歌『ありがとう~ひとさし指から奏でるしあわせ』。
頼りにしてます、ヘルパーさん。
ピアノをやっていてよかった…両親に感謝!
Posted by あっこちゃん at 14:02│Comments(1)
│からだ
この記事へのコメント
明子さん、こんにちは。
18年前の9月5日だったんですね。
私も、すっかり忘れていました(笑)
18年前、私は何をしていたのかな~、と考えてみました。
平成7年(1995年)というと、娘が生まれる一年前ですから、奈良県桜井市という所で、お寺の住職をしながら、法徳寺を建立する準備をしていました。
その娘も、もう高2になり、来年は大学受験です。早いものですね。
その時から、明子さんは、左手のひとさし指一本で、懸命に生きてこられた訳ですから、凄いとしか言いようがありません。本当に頭が下がります。
勿論、18年前の私は、明子さんの存在すら知りませんでしたし、山梨へ来てからも同様でした。
もっと早くご縁が出来ていてもよさそうですが、物事が成就するには、すべて時期というものがあります。
み仏の眼から見れば、早くても遅くても駄目な事があるのです。
お寺が建立出来たのは平成16年ですが、それも時期です。
私やご縁のある皆様や様々な条件(仏縁)が整わなければ、いくら早く建てたいと思っても願いを成就する事は出来ません。
柿の木が熟して自然に落下する様に、その時でなければ建たない理由があるのです。
明子さんと私とのご縁も、同じです。
明子さんが救われる為には、今でなければいけない理由がちゃんとあります。
さて、世の中には、忘れてはいけない事と、忘れなければいけない事があります。
例えば、大勢の犠牲者を出した東日本大震災の教訓は、決して忘れてはいけない事で、子々孫々に語り継いでいかなければいけません。
でも、東日本大震災で受けた苦しみや悲しみにいつまでも執われていては、希望を取り戻して明日に向かって生きていく事が出来ません。苦しみや悲しみは、忘れられないかもしれませんが、それを乗り越えていかなければいけないのです。
勿論、起こった出来事と、自分の思いを切り離す事は至難の業ですが、そこを乗り越えていかなければ、明日は見えてきません。
明子さんの場合も、18年前の医療事故は、忘れようにも忘れられない出来事であり、事故があったという事実は、記憶にとどめておく必要があります。
しかし、同時に、重い後遺症を負わせた先生に対する明子さんの怒り、怨み、憎しみにいつまでも執われていると、そこに縛り付けられて身動きが取れなくなります。
世の中に、損と言われる事は多々ありますが、明子さんにとって、これほど大損な事はありません。
明子さんが9月5日を忘れていたのは、健忘症に罹った訳ではありませんからご安心を(笑)
おっしゃるように、明子さんの気持ちが変化してきているからではないかと、私も思います。
心が解き放たれてきたと言うか、要するに、明子さんの生きる世界が、どんどん広がってきた証ではないでしょうか。
つまり、中から光が射してきたのです。
今までは、明子さんの心を、過去の辛い記憶という暗闇が支配していた筈です。そこに、少しずつ救いの光が射してきているのです。
明子さんを小さな世界に縛り付けていたものが、少しずつ壊れてきているのだと思います。
私の恥をお話しましょう。
ここだけの話ですから、誰にも言わないで下さいね(笑)
実は、私ほど、神仏を信じない人間はいなかったのです。
いつだったか忘れましたが、初めて父に連れられて紀州高野山へ行った時の事です。
高野山には、弘法大師がいまも生きて苦しむ人々を救っていて下さるという入定信仰があります。
父はお大師様を深く信仰していまして、私をどうしてもお大師様に会わせたいと言って、弘法大師が入定しておられる「奥の院」へ私を連れて行ったのです。
しかし、当時の私にとって、弘法大師というお方は、歴史の授業で習って知っているという程度のお方でしかありませんでした。
勿論、弘法大師に対する信仰や敬いも、まったくありませんでした。
父が、一緒に行こうと言うので、嫌々付いてきたお参りに過ぎなかったのです。
「奥の院」にお参りするには、2キロもある参道を歩いていかなければいけないのですが、参道の入り口にある「一の橋」のたもとで、急に小便がしたくなってきたのです。
真夜中なので、周囲には誰もいません。
そこで、近くにお便所があるにも拘らず、「一の橋」の近くの道端で、立小便をしたのです。
父は、それを見て、「近くにお便所があるのに」と言いながら、悲しそうな顔をしていましたが、私はそんな事も気にせず、堂々と道端で立小便をしたのです。
生き仏と言われるお大師様が入定しておられる聖地の上で立小便をした訳ですから、こんな罰当たりな事はありません。
それを罰当たりな行為だと気付かないほど、私は無信心な人間だったのです。
ところが、お参りを済ませて帰る頃から、急にお腹が痛くなり始め、激しい下痢に襲われたのです。
その下痢は治まるどころか益々激しくなり、帰りの道中、何度、お便所に駆け込んだか分りません。
結局それから三日三晩、床に就く事になりました。
げっそり痩せて見る影もありませんでしたが、私が、神仏の存在を実感するようになったのは、その時からでした。
「お大師様は、間違いなく生きておられる。目には見えないけれど、神仏は確かにおられる」という事を、骨身にしみて実感した瞬間でした。
信仰の道に入るきっかけが、高野山での立小便だったなんて、恥ずかしくて人には言えませんが、神仏なんかいるものかと、うそぶいていた私が、いまお大師様の弟子となって、人様に信心しなさいと説いているのですから、世の中、どこでどうなるか分りませんね(笑)
私が恥を忍んでこんなお話をするのは、明子さんに立小便の話をしたいからではありません。
私が言いたいのは、人間は変わると言う事です。
人間は変わらないという人がいますが、人間は必ず変わります。
何故なら、それが真理だからです。
現に私がそうです。いまお話したように、昔の私と比べれば、別人かと見間違うほど変わりました。勿論、今もどんどん変わっています。
勿論、変わると言っても、変わって良い場合と、悪い場合があります。
例えば、結婚した相手の心が、どんどん変わるのは困ります。
でも、辛い事や苦しい事を経験した自分が、それを乗り越えて新しい世界に飛躍していくのは、とても素晴らしい変わり方だと思います。
私自身、苦しい事や辛い事も沢山味わってきましたが、今も過去の苦しみや辛さが私を縛っているかといえば、そんな事はまったくありません。
どんな苦しみも、怒りも、憎しみも、私を縛り付けておく事など出来ません。
そんなちっぽけな世界に縛り付けられるほど、人間はちっぽけな存在ではないのです。
明子さんの心の片隅にも、もしかすると今まで「この世に神も仏もあるものか」という思いがあったかも知れませんね。
あれほどの苦しみを味わったのですから、それが当然です。
でも、人間は変わります。変われるのです。
変われるという事は、生きる世界が無限に広がっていくという事です。それだけの力と智慧を与えられているのが、人間です。
私は、今まで信仰経験の中で、様々な教えや体験を通して、悟りの智慧を磨かせて頂きました。仏法と言われるものですが、その悟りの智慧が、いまの私を支え、私を救ってくれています。
だからこそ、その悟りの智慧を、一人でも多くの皆さんに役立ててほしいと思っているのです。
明子さんはいま、全身麻痺という後遺症の為に、車椅子に縛り付けられています。
車椅子という小さな世界で生きようと思えば、それも出来ない事はありません。
でも、明子さんが生きる世界は、車椅子というちっぽけな世界には納まらないほど、無限の可能性を秘めているのです。
そんなちっぽけな世界に納まるほど、坂中明子という人間は、ちっぽけな存在ではないと、私は思っています。
そのちっぽけな存在ではない事に目覚めるきっかけは、人によってみな違います。
私の場合は立小便でしたが(笑)、明子さんの場合は、何なのでしょうか?
いずれにしても、明子さんがいま大きく変わろうとしている事だけは間違いありません。
勿論、悪い方へではありません。
明子さんが救われ、幸せになる方向へ大きく変わろうとしているのです(^^)
18年前の9月5日だったんですね。
私も、すっかり忘れていました(笑)
18年前、私は何をしていたのかな~、と考えてみました。
平成7年(1995年)というと、娘が生まれる一年前ですから、奈良県桜井市という所で、お寺の住職をしながら、法徳寺を建立する準備をしていました。
その娘も、もう高2になり、来年は大学受験です。早いものですね。
その時から、明子さんは、左手のひとさし指一本で、懸命に生きてこられた訳ですから、凄いとしか言いようがありません。本当に頭が下がります。
勿論、18年前の私は、明子さんの存在すら知りませんでしたし、山梨へ来てからも同様でした。
もっと早くご縁が出来ていてもよさそうですが、物事が成就するには、すべて時期というものがあります。
み仏の眼から見れば、早くても遅くても駄目な事があるのです。
お寺が建立出来たのは平成16年ですが、それも時期です。
私やご縁のある皆様や様々な条件(仏縁)が整わなければ、いくら早く建てたいと思っても願いを成就する事は出来ません。
柿の木が熟して自然に落下する様に、その時でなければ建たない理由があるのです。
明子さんと私とのご縁も、同じです。
明子さんが救われる為には、今でなければいけない理由がちゃんとあります。
さて、世の中には、忘れてはいけない事と、忘れなければいけない事があります。
例えば、大勢の犠牲者を出した東日本大震災の教訓は、決して忘れてはいけない事で、子々孫々に語り継いでいかなければいけません。
でも、東日本大震災で受けた苦しみや悲しみにいつまでも執われていては、希望を取り戻して明日に向かって生きていく事が出来ません。苦しみや悲しみは、忘れられないかもしれませんが、それを乗り越えていかなければいけないのです。
勿論、起こった出来事と、自分の思いを切り離す事は至難の業ですが、そこを乗り越えていかなければ、明日は見えてきません。
明子さんの場合も、18年前の医療事故は、忘れようにも忘れられない出来事であり、事故があったという事実は、記憶にとどめておく必要があります。
しかし、同時に、重い後遺症を負わせた先生に対する明子さんの怒り、怨み、憎しみにいつまでも執われていると、そこに縛り付けられて身動きが取れなくなります。
世の中に、損と言われる事は多々ありますが、明子さんにとって、これほど大損な事はありません。
明子さんが9月5日を忘れていたのは、健忘症に罹った訳ではありませんからご安心を(笑)
おっしゃるように、明子さんの気持ちが変化してきているからではないかと、私も思います。
心が解き放たれてきたと言うか、要するに、明子さんの生きる世界が、どんどん広がってきた証ではないでしょうか。
つまり、中から光が射してきたのです。
今までは、明子さんの心を、過去の辛い記憶という暗闇が支配していた筈です。そこに、少しずつ救いの光が射してきているのです。
明子さんを小さな世界に縛り付けていたものが、少しずつ壊れてきているのだと思います。
私の恥をお話しましょう。
ここだけの話ですから、誰にも言わないで下さいね(笑)
実は、私ほど、神仏を信じない人間はいなかったのです。
いつだったか忘れましたが、初めて父に連れられて紀州高野山へ行った時の事です。
高野山には、弘法大師がいまも生きて苦しむ人々を救っていて下さるという入定信仰があります。
父はお大師様を深く信仰していまして、私をどうしてもお大師様に会わせたいと言って、弘法大師が入定しておられる「奥の院」へ私を連れて行ったのです。
しかし、当時の私にとって、弘法大師というお方は、歴史の授業で習って知っているという程度のお方でしかありませんでした。
勿論、弘法大師に対する信仰や敬いも、まったくありませんでした。
父が、一緒に行こうと言うので、嫌々付いてきたお参りに過ぎなかったのです。
「奥の院」にお参りするには、2キロもある参道を歩いていかなければいけないのですが、参道の入り口にある「一の橋」のたもとで、急に小便がしたくなってきたのです。
真夜中なので、周囲には誰もいません。
そこで、近くにお便所があるにも拘らず、「一の橋」の近くの道端で、立小便をしたのです。
父は、それを見て、「近くにお便所があるのに」と言いながら、悲しそうな顔をしていましたが、私はそんな事も気にせず、堂々と道端で立小便をしたのです。
生き仏と言われるお大師様が入定しておられる聖地の上で立小便をした訳ですから、こんな罰当たりな事はありません。
それを罰当たりな行為だと気付かないほど、私は無信心な人間だったのです。
ところが、お参りを済ませて帰る頃から、急にお腹が痛くなり始め、激しい下痢に襲われたのです。
その下痢は治まるどころか益々激しくなり、帰りの道中、何度、お便所に駆け込んだか分りません。
結局それから三日三晩、床に就く事になりました。
げっそり痩せて見る影もありませんでしたが、私が、神仏の存在を実感するようになったのは、その時からでした。
「お大師様は、間違いなく生きておられる。目には見えないけれど、神仏は確かにおられる」という事を、骨身にしみて実感した瞬間でした。
信仰の道に入るきっかけが、高野山での立小便だったなんて、恥ずかしくて人には言えませんが、神仏なんかいるものかと、うそぶいていた私が、いまお大師様の弟子となって、人様に信心しなさいと説いているのですから、世の中、どこでどうなるか分りませんね(笑)
私が恥を忍んでこんなお話をするのは、明子さんに立小便の話をしたいからではありません。
私が言いたいのは、人間は変わると言う事です。
人間は変わらないという人がいますが、人間は必ず変わります。
何故なら、それが真理だからです。
現に私がそうです。いまお話したように、昔の私と比べれば、別人かと見間違うほど変わりました。勿論、今もどんどん変わっています。
勿論、変わると言っても、変わって良い場合と、悪い場合があります。
例えば、結婚した相手の心が、どんどん変わるのは困ります。
でも、辛い事や苦しい事を経験した自分が、それを乗り越えて新しい世界に飛躍していくのは、とても素晴らしい変わり方だと思います。
私自身、苦しい事や辛い事も沢山味わってきましたが、今も過去の苦しみや辛さが私を縛っているかといえば、そんな事はまったくありません。
どんな苦しみも、怒りも、憎しみも、私を縛り付けておく事など出来ません。
そんなちっぽけな世界に縛り付けられるほど、人間はちっぽけな存在ではないのです。
明子さんの心の片隅にも、もしかすると今まで「この世に神も仏もあるものか」という思いがあったかも知れませんね。
あれほどの苦しみを味わったのですから、それが当然です。
でも、人間は変わります。変われるのです。
変われるという事は、生きる世界が無限に広がっていくという事です。それだけの力と智慧を与えられているのが、人間です。
私は、今まで信仰経験の中で、様々な教えや体験を通して、悟りの智慧を磨かせて頂きました。仏法と言われるものですが、その悟りの智慧が、いまの私を支え、私を救ってくれています。
だからこそ、その悟りの智慧を、一人でも多くの皆さんに役立ててほしいと思っているのです。
明子さんはいま、全身麻痺という後遺症の為に、車椅子に縛り付けられています。
車椅子という小さな世界で生きようと思えば、それも出来ない事はありません。
でも、明子さんが生きる世界は、車椅子というちっぽけな世界には納まらないほど、無限の可能性を秘めているのです。
そんなちっぽけな世界に納まるほど、坂中明子という人間は、ちっぽけな存在ではないと、私は思っています。
そのちっぽけな存在ではない事に目覚めるきっかけは、人によってみな違います。
私の場合は立小便でしたが(笑)、明子さんの場合は、何なのでしょうか?
いずれにしても、明子さんがいま大きく変わろうとしている事だけは間違いありません。
勿論、悪い方へではありません。
明子さんが救われ、幸せになる方向へ大きく変わろうとしているのです(^^)
Posted by 大西良空 at 2013年10月02日 11:06