2014年03月09日
ピアノをやっていてよかった…両親に感謝!
五十肩になって、姿勢をまっすぐに保つことが難しくなってきた。
気がつくと左のほうにすっかり傾いてしまっている。
だから景色も人も斜めに見てしまうという感じ。
それに痛さで夜も眠れないし…。
温湿布をもらって貼っているが、これは本当に気休めで、
おまけに、かぶれてかゆくなる。
それかと言って、自分で掻くこともできない。
こんな時でも、レッスンがあると気持ちが楽になる。
子どもたちと会話したり歌ったりして、
本当にピアノをやっていてよかったと思う。
両親に感謝!
★ランキングに参加しています。
バナーをワンクリックして、よかったら応援してくださいね!



薬を飲み飲み、出かけて楽しんだ。
県病院の耳鼻科にて。
悔しさ、惨めさ、情けなさ、痛みを経験したからわかる。
私の歌『ありがとう~ひとさし指から奏でるしあわせ』。
頼りにしてます、ヘルパーさん。
五十肩。
県病院の耳鼻科にて。
悔しさ、惨めさ、情けなさ、痛みを経験したからわかる。
私の歌『ありがとう~ひとさし指から奏でるしあわせ』。
頼りにしてます、ヘルパーさん。
五十肩。
この記事へのコメント
私事ですが、9年前の平成17年8月初め頃から、左側の首から背中、肩、左腕にかけて、夜も眠れないほどの激しい疼痛に襲われた事があります。
診断してもらったところ、「多分、頸椎の椎間板ヘルニアでしょう。椎間板が神経を圧迫しているのが、痛みの原因です。取りあえず、注射と薬で治療し、治らなければ、手術しかありません」と言われました。
激しい痛みが昼夜の別なく襲ってくるので、十分な睡眠もとれず、一時は「この痛みと一生付き合っていかなければいけないのか」と、覚悟を決めた事もありました。
大きな病院では、首の牽引も電気治療もしてくれず、融通が利かないので、市内の整形外科に移り、首の牽引や電気治療をしながら、毎日、首にコルセットをはめて過ごしていました。
それにしても、治療方針がお医者さんによって変わる事には、今でも素朴な疑問を抱かざるを得ません。
大病院の医師には、「注射と薬で駄目なら手術しかありません。毎日コルセットをして、絶対外さないで下さい」と言われ、市内の医師からは、「首の牽引と電気マッサージをします。コルセットはしないで下さい」と言われ、どちらを信じてよいのやら、さっぱり訳が分りませんでした(笑)
しかし、私には信じている事が二つありました。
一つは、耐えられない痛みや、乗り越えられない苦しみは絶対に与えられないという事、もう一つは、どんな痛みや苦しみにも、必ず意味があるという事です。
明子さんには、中々理解して頂けないかも知れませんが、信仰をしている私にとっては、心の依りどころとなっていました。
そんなある日のこと、この激しい痛みは、み仏が私達の身代わりとなって流しておられる代受苦の汗を意味する「汗露水(かんろすい)」という聖水をお授け頂く為に、どうしても耐えなければいけない試練の行である事が分ったのです。
詳細は法徳寺のホームページにも書いてありますが、首から背中にかけての激しい痛みは、その為の行でした。
勿論、痛みの真相を悟ったからと言って、首の痛みが無くなった訳ではなく、痛みはその後も続きました。
ようやく痛みが和らいできたのは、年の瀬も押し迫った頃でしたが、信仰しているお蔭で、肉体の痛みはあっても心の苦しみはありませんでした。
このような肉体の痛みは、体験した者でなければ分りません。
明子さんの痛みも、想像を絶する痛みではないかと心配しています。
私の場合は、痛くなれば、体の向きを変えて、出来るだけ痛みの少ない姿勢をとる事も出来ましたが、体を動かせない明子さんにとっては、姿勢一つを変えるのも大変だろうと思います。
しかし、「こんな時でも、レッスンがあると気持ちが楽になる。子どもたちと会話したり歌ったりして、本当にピアノをやっていてよかったと思う」と書いておられるのを見て、安心いたしました。
「第二の矢を受けず」というお釈迦様の教えがあります。
これは、肉体的苦しみは受けても、心の苦しみは受けないという意味で、いまの明子さんを見ていると、第二の矢を受けていない事がよく分かります。
私は、信仰のお蔭で、痛みを乗り越える事が出来ましたが、明子さんにも、痛みを乗り越えさせてくれる子供達とピアノがあったんですね。
「両親に感謝!」と書いておられますが、全くその通りだと思います。
何の力にもなれませんが、今日も心穏やかにお過ごし下さい(^▽^)/
診断してもらったところ、「多分、頸椎の椎間板ヘルニアでしょう。椎間板が神経を圧迫しているのが、痛みの原因です。取りあえず、注射と薬で治療し、治らなければ、手術しかありません」と言われました。
激しい痛みが昼夜の別なく襲ってくるので、十分な睡眠もとれず、一時は「この痛みと一生付き合っていかなければいけないのか」と、覚悟を決めた事もありました。
大きな病院では、首の牽引も電気治療もしてくれず、融通が利かないので、市内の整形外科に移り、首の牽引や電気治療をしながら、毎日、首にコルセットをはめて過ごしていました。
それにしても、治療方針がお医者さんによって変わる事には、今でも素朴な疑問を抱かざるを得ません。
大病院の医師には、「注射と薬で駄目なら手術しかありません。毎日コルセットをして、絶対外さないで下さい」と言われ、市内の医師からは、「首の牽引と電気マッサージをします。コルセットはしないで下さい」と言われ、どちらを信じてよいのやら、さっぱり訳が分りませんでした(笑)
しかし、私には信じている事が二つありました。
一つは、耐えられない痛みや、乗り越えられない苦しみは絶対に与えられないという事、もう一つは、どんな痛みや苦しみにも、必ず意味があるという事です。
明子さんには、中々理解して頂けないかも知れませんが、信仰をしている私にとっては、心の依りどころとなっていました。
そんなある日のこと、この激しい痛みは、み仏が私達の身代わりとなって流しておられる代受苦の汗を意味する「汗露水(かんろすい)」という聖水をお授け頂く為に、どうしても耐えなければいけない試練の行である事が分ったのです。
詳細は法徳寺のホームページにも書いてありますが、首から背中にかけての激しい痛みは、その為の行でした。
勿論、痛みの真相を悟ったからと言って、首の痛みが無くなった訳ではなく、痛みはその後も続きました。
ようやく痛みが和らいできたのは、年の瀬も押し迫った頃でしたが、信仰しているお蔭で、肉体の痛みはあっても心の苦しみはありませんでした。
このような肉体の痛みは、体験した者でなければ分りません。
明子さんの痛みも、想像を絶する痛みではないかと心配しています。
私の場合は、痛くなれば、体の向きを変えて、出来るだけ痛みの少ない姿勢をとる事も出来ましたが、体を動かせない明子さんにとっては、姿勢一つを変えるのも大変だろうと思います。
しかし、「こんな時でも、レッスンがあると気持ちが楽になる。子どもたちと会話したり歌ったりして、本当にピアノをやっていてよかったと思う」と書いておられるのを見て、安心いたしました。
「第二の矢を受けず」というお釈迦様の教えがあります。
これは、肉体的苦しみは受けても、心の苦しみは受けないという意味で、いまの明子さんを見ていると、第二の矢を受けていない事がよく分かります。
私は、信仰のお蔭で、痛みを乗り越える事が出来ましたが、明子さんにも、痛みを乗り越えさせてくれる子供達とピアノがあったんですね。
「両親に感謝!」と書いておられますが、全くその通りだと思います。
何の力にもなれませんが、今日も心穏やかにお過ごし下さい(^▽^)/
Posted by 大西良空 at 2014年03月13日 11:55
大西さんいつもコメントを
有り難うございます。
大事な時間を使って書いて頂いて
本当に嬉しいです。
頑張れそうです。
大西さんの「お説教」を側で聞けたら、
もっともっと元気が出そうです。
有り難うございます。
大事な時間を使って書いて頂いて
本当に嬉しいです。
頑張れそうです。
大西さんの「お説教」を側で聞けたら、
もっともっと元気が出そうです。
Posted by あっこちゃん
at 2014年03月15日 21:10
