2014年04月20日

私にできる親孝行。

このところブログを書く気になれなかった。
気分が落ち込んで何を書いていいのかも分からなかった。
というのもお父さんが食道ガンで余命宣告を受けたからだ。

このまま何もしなければ3ヵ月、
放射線や抗がん剤の治療をしても11ヵ月と言われ、
お父さんはお医者さんに「頑張ります!」と言ったそうだ。
4月7日から平和台病院に入院。
8日には宮崎県病院に転院して抗がん剤の治療が始まった。

私は毎週、月曜日、水曜日のリハビリの帰りに
ヘルパーさんとお父さんの病院に寄った。
私が「何か食べたいものある?」と
メールしたらなかなか返信が来ない。
リハビリの時間が迫っていたので
「何か欲しいものがあったらメールして!」
と書いてリハビリに行った。

その帰り病院に寄ると
「モスチキンとモスバーガーが食べたい!」と言う。
次のリハビリの帰り、それを買って持って行った。

私にできる、せめてもの親孝行はそれぐらいしかないのだ。
本当に11ヵ月しか生きられないのだろうか? 
でも私は信じない。



★ランキングに参加しています。
バナーをワンクリックして、よかったら応援してくださいね!

にほんブログ村 クラシックブログ ピアノ教室・ピアノ講師へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 車いす自立生活へ

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 宮崎県情報へ






同じカテゴリー(家族)の記事画像
2015年夏のひとコマ。東京羽田にて。
そら行かんといかんわ。親として当然やが・・・「諏訪内晶子 成熟のアンサンブル」
同じカテゴリー(家族)の記事
 2015年夏のひとコマ。東京羽田にて。 (2015-09-22 14:41)
 お父さんの初盆。 (2015-08-25 03:57)
 そら行かんといかんわ。親として当然やが・・・「諏訪内晶子 成熟のアンサンブル」 (2015-05-17 15:42)
 大好きだった耕くんのパパ (2015-04-21 12:03)
 ひとり暮らしを始めて12年。 (2015-03-01 05:19)
 家族6人で過ごしたお正月。 (2015-01-04 11:13)

Posted by あっこちゃん at 15:44│Comments(1)家族
この記事へのコメント
ブログを拝見しながら、余命宣告されたお父さんや御家族の皆さんのお気持ちを思うと、いたたまれない気持ちになりました。
皆さんのお力になれるかどうか分りませんが、私なりに思うところを書かせて頂きます。

吉祥天という福の神と黒闇天という疫病神の事は、前にお話したと思いますが、疫病神を追い出したら、福の神も一緒に出て行ったという話があるように、幸不幸は表裏一体で、幸福の裏には不幸が、不幸の裏には幸福が隠れています。
余命宣告されれば、どうしてもそちらばかりに目が行くのは已むを得ませんが、そちらばかりに目を奪われていると、疫病神は見えても福の神は見えてきません。
よく「ピンチはチャンス」と言われますが、今回の坂中家のピンチを、是非チャンスに変えて頂きたいと思います。

いまも様々な思いが駆け巡っている事と思いますが、「本当に11ヵ月しか生きられないのだろうか?でも私は信じない」という明子さんのご意見には、私も大賛成です。
医学界には、医学の常識というものがありますが、それはあくまで医学に携わる先生方の中での常識であって、私達一般人の常識ではありません。
明子さんがブログで仰っておられるように、先生がそう言ったからと言って、それを100パーセント信じる必要はありません。
先生は、あくまで医学の常識に基づいて、そう言っておられるだけですから、その常識とやらを過信し過ぎるのは禁物です。
何故なら、時として医学の常識が間違っている場合もあるからです。

例えば、チューブにつながれた明子さんに、水をガーゼに含ませて飲ませても、むせて飲むことが出来なかった時、主治医の先生は、「鼻腔栄養にしないと、また元の状態(心停止)になります。明子さんには何を言ってもわかりません」と言って、口から食物を入れる事を最初から諦めているような口調だったと、お母さんが『ひとさし指から奏でる幸せ』に書いておられました。
恐らく、それがその先生にとっては、医学の常識だったのでしょう。
しかし、それは、子を愛する親の常識ではありませんでした。
「明子は何もかも分かっている」と固く信じて疑わなかった浩子さんは、主治医に何と言われようが決して諦めず、何とか口から美味しいものを食べさせたいとの一心で、一人黙々と明子さんに水を飲ませる練習を続けられました。
「このまま医者の言うことだけを聞いていては、何一つ変わらない。明子には音楽がある。少なくとも明子にはこの二十一年間、魂で聴き続けた音楽があるのだ。私の気持ちが伝わらないはずがない」というお母さんの強い信念が、ついに医学の常識を覆したのです。
明子さんは、やがて水を飲むという意識を取り戻し、水を飲むようになったばかりか、おもゆや裏ごしした梅干し、具なしの茶碗蒸し、差し入れのシチューまで食べられるようになったのです。
お母さんの一念が、不可能を可能にしたのです。
もしあの時、お母さんが医者の言うことだけを聞いて従っていれば、明子さんは、今もベッドに縛られたまま、鼻から鼻腔栄養のチューブを入れられて、寝たきりだったかも知れません。

このような医学の常識を覆した事例は、世の中にいくつもあります。
私が以前住職をしていたお寺の檀家さんの家にお参りに行った時、仏壇の上に、「龍心」と書かれた額が掛かっていたので、「どなたが書かれたのですか?」と奥さんにお尋ねしたら、「主人が設計したお寺の御住職さんが書いて下さったんです」と仰って、その御住職さんの話をして下さいました。
その御住職は、私と同じ在家の出身で、50歳の時に、肝臓癌を患い、あと半年の命と宣告されたそうです。
その時は、まだ信仰のかけらもなかったそうですが、余命半年と宣告されて初めて、今まで生きてきた50年の人生を振り返られたのです。
その結果「自分は今まで自分の為だけでしか生きてこなかった。世のため、人のために役立つような事を何もして来なかった」と気付かれ、愕然とされたそうです。
「こんな事をしていては駄目だ。残された命を、少しでも世のため、人のために生きたい」と思われて出家を決意し、京都の醍醐寺にある伝法学院という修行道場に入って、一年間修行をなさったのです。
医師から、あと半年の命と余命宣告されていましたから、宣告通りであれば、一年間の修行は不可能です。修行の途中で亡くなるかも知れません。
しかし、その方は「それもまたみ仏のお計らいだから、もし途中で死んでも悔いはない。とにかく命のある限り、少しでも自分以外の方々のお役に立つ生き方をしたい」と言って、伝法学院に飛び込まれたのです。
そうしたら、不思議な事に、そこで病気の進行が止まったのです。「世のため、人のために何か役立つ事をしたい」と決心して飛び込んだら、病気の進行が止まり、半年の命と宣告されたお方が、十五年間も生きられたのです。
生きたと言うより、み仏に生かされたと言った方がいいかも知れません。
医学の常識では考えられない事ですが、現実に起こったまぎれもない事実です。

実を言うと、私の父も、63歳の時に「総胆管末端部腫瘍」、つまり癌と診断されて、2週間の命と宣告されました。
お医者さんの話では、腫瘍の出来ている場所が非常に悪く、腫瘍を切除するには、転移を考えて胃を三分の二以上、膵臓を約半分、十二指腸と胆管を全部切除して胆管の末端を腸に吻合するという大手術が必要だとの事でした。
「早く手術をしないと、胆管閉塞を起して大変な事になります。胆管閉塞を起せば、2週間の命です」とまで言われました。
しかし、当時父は、衆生済度をしている身でしたから、手術は受けませんでした。
「出来るだけ健康な体で苦しむ人々の所へ行って説法したい。手術なんかしていたら、それも出来なくなる。一人でも多くの方に会って、仏法を伝えたい」という事で、手術をせず、癌を持ったまま、癌と共に生きる決意をしたのです。
ところが、そこでやはり癌の進行が止まったのです。そして、六十三歳から七十一歳までの8年間、衆生済度に生涯を捧げました。
もし、あの時、お医者さんの指示に従って手術をしていたら、どうなっていただろう?と今でも思います。
手術が成功する保証は、五分五分という話でしたから、成功していたとは限りません。
仮に成功しても、お腹の臓器の殆どを摘出している上に、その後の抗癌剤の治療を考えれば、とても衆生済度どころではなかったと思います。

勿論、これは特殊な例かも知れません。
癌と診断されれば、先ず誰でも、医師の指示に従おうとするでしょうし、それが当たり前です。
医師の指示を断ち切って、癌と共に生きる決意をするのは、まさに清水の舞台から飛び降りるよりも難しい選択です。
父にしても、そのお坊さんにしても、命をかけた決断を迫られた訳ですから、頭が下がりますが、その決断が癌の進行を止めたのですから、まさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」です。
出来るだけ長生きしたいというのは、万人の願いでしょうし、健康で長生きできるなら、そうすべきだと私も思います。
しかし、病気でベッドに縛り付けられまま、好きな事も出来ずにただ死を待つだけの長生きなら、私は断じて拒否します。

大切な事は、「いつ死ぬのか、いつまで生きるのか」ではなく、「残された人生をいかに生きるか」というその人の生き方ではないでしょうか。
癌を敵にまわすか、味方につけるか。
それによって、勝敗が決まると言っても過言ではありません。
生き方に対する、父やそのお坊さんの強い信念と決意が、癌を味方につけ、その進行を食い止めさせたのではないかと、私は今でも信じています。

次に、死についてです。
余命宣告を受けられたお父さんにとって、死は将来のいつかではなく、目前に迫る現実です。
しかし、死は、何もお父さんだけの問題ではありません。明子さんやご家族の皆さんにとっても、私にとっても、確実にやってくる手強い相手です。
お父さんと違うのは、その死が目前に迫っているか、まだ見えていないかの違いだけです。
だとすれば、この機会に、間違いなくやってくる死を迎える心の準備に取り掛かかっておいても、決して無駄にはならないと思います。
その準備に、早すぎると言う事はありません。

こんな言葉をご存じでしょうか?
「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ねる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
これは、純真な子供たちを愛し、手毬を突いたり、かくれんぼをして遊んだと言われる良寛さんの言葉です。
「災難に遭う時は災難に遭いなさい。お迎えが来た時には、素直にお迎えをお受けしなさい。これが災難を逃れる唯一の方法です」とは、如何にも良寛さんらしい言葉だと思います。
一見すると、良寛さんが言っている事は、世間の常識から外れているようにも思えますが、良寛さんは何も、災難に遭いなさいとか、死になさいと言っている訳ではありません。
良寛さんとて、災難には遭いたくないでしょうし、死にたくはない筈です。
良寛さんは、日頃から、災難に遭っても、お迎えが来ても動じない心を養っておくことの大切さを、この様な言い方で表現なさったのです。

災難に遭っても、お迎えが来ても動じない心とは、「災難をも死をも、一切を在るがまま受け入れる心」です。
先ほど、「癌を敵に回すか、見方につけるか。そのどちらかで勝敗が決まる」と言いましたが、ここでも同じ事が言えます。
災難や死を敵に回すか、味方につけるかです。
敵に回すという事は、拒絶する事です。
見方につけるという事は、受け入れる事です。
敵に回せば、相手は必ず攻撃してきます。
味方につければ、相手は攻撃を止めます。
「疫病神さん、いつでも来て下さい。死神さん、すでにお迎えできる準備が出来ていますから、いつでもどうぞ」と言っている人の所には、疫病神も死神もやってきません。
やってきても、気が変わって退散していくかも知れません。
「絶対来るな。来てほしくない」と思っている人の所にこそ、疫病神や死神は来たがるものです。

「一切を在るがまま受け入れる心」と言いましたが、一切ですから、自分にとって都合の良い事だけではありません。
不都合な事も含めて、一切を在るがまま受け入れるという事です。
それだけではありません。
受け入れるからには、感謝して受け入れなければなりません。嫌々受け入れたり、仕方なしに受け入れるのでは、受け入れた事になりません。
つまり、不都合な事も含めて、「一切を、在るがまま、有り難く、感謝して」受け入れるのが、良寛さんの言われる災難を逃れる法です。

どうすれば、「一切を、在るがまま、有り難く、感謝して」受け入れられるようになるのか?
その為には、どのような事であっても、自分が「これで良し」と納得しなければなりません。
災難が来ても「これで良し」、お迎えが来ても「これで良し」、どんなに不都合が出来事に遭遇しても「これで良し」と納得できなければ、在るがまま、有り難く、感謝して受け入れる事などできません。

父の歌に
 生も好し 死もまた好きかな桜花
   散れば咲きには また帰りくる
という歌がありますが、父もまた「生も好いが、死もまた好しと頷けた時、不都合な死をも在るがまま受け入れる心が出来る」と言っています。

曹洞宗の開祖、道元禅師が、次のように言っています。
「生死の中に仏あれば生死なし。ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべくもなく、涅槃としてねがうべきもなし。この時初めて生死を離るる分あり」
難しい言葉ですが、次のように言い換えたらどうでしょうか?
「地獄の中に仏あれば地獄なし。ただ地獄即ち極楽と心得て、地獄として厭うべくもなく、極楽として願うべきもなし。この時初めて地獄を離るる分あり」
要するに、「生は好ましいが、死は好ましくない。極楽は好ましいが地獄は好ましくない」という分別心を捨て、み仏に一切をお任せする心になれば、そこには都合の良い生も都合の悪い死も、極楽も地獄もないという事です。

明子さんもそうだと思いますが、私達は、様々な事柄を分別して生きています。
嫌な事と好ましい事、苦しい事と楽しい事、地獄と極楽、生と死、福の神と疫病神など、ありとあらゆる事柄を分別し、その中から好ましい事柄だけを選んで生きていこうとします。
嫌な事や苦しい事や地獄や死や疫病神は避けたいし、好ましい事や楽しい事や極楽や生や福の神は、引き寄せたいのです。
しかし、この分別心が、実は私達を苦しめている張本人である事は、多くの人は知りません。

地獄はどこまでも地獄、極楽はどこまでも極楽というのが、世間の常識ですが、地獄も思い方が変われば極楽になり、極楽も見方を変えれば地獄になります。
「生死(地獄)の中に仏あれば生死(地獄)なし」とは、その事を言っているのです。
「極楽は好ましいが、地獄は好ましくない」と分別している内は、まだ本当の極楽は見えてきません。
好ましくない地獄をも在るがまま受け入れる事ができた時、はじめて地獄が地獄でなくなり、極楽に変わるのです。
経典には「極楽は十万億土彼方にある」と説かれていますが、そんな遠くへ行く必要はありません。
自分が居るその場所が、そのまま極楽になるからです。
病気していても、病気で寝ている布団の上が、極楽になるのです。

ここで一つ質問です。
もしみ仏から、「悪いが私と一緒に地獄へ行ってくれないか」と頼まれたら、明子さんはどうしますか?
「申し訳ありませんが、地獄へは行きたくありません。どうか、極楽へお導き下さい」と言ってお断りするか?
それとも「ありがとうございます。私を見込んでそう仰って下さるなら、喜んでお供をさせて頂きます」と言ってみ仏と一緒に地獄へ堕ちていくか?
道は二つに一つです。
さあ、どちらを選びますか?
もし、前者の道を選ばれるなら、明子さんは、本当の極楽へは行けません。
何故なら、「極楽は好いが地獄は嫌だ」というその分別心が、明子さんを地獄へ導くからです。

もしみ仏から、「私と一緒に地獄へ行ってくれませんか」と言われたら、明子さんは「私の分別心を取り除いて、本当の極楽に導こうとして下さっているのだ」と悟らなければなりません。
そして、「はい、分りました。み仏のお指図なら、地獄へでも、どこへでも喜んでお供させて頂きます」と答えなければなりません。
それによって、明子さんは間違いなく極楽往きの切符を手に入れる事が出来ます。
それは、死神に対しても同じです。
死神から「私と一緒にあの世へ行ってくれませんか」と言われて、「はい、分りました。お供させて頂きます」と言えられる人は、すでに死神がもたらす死を克服している人です。
そんな人の所へは、死神は近づいてきません。

み仏から「私と一緒に極楽に行ってくれないか」と言われたら、みんな、「喜んでお供致します」と答えると思います。
みんな極楽へ行きたいし、地獄へ行きたくないですから、そう答えるのが当たり前です。
でも、それは罠なのです。
その罠をしかけているのは、勿論、「極楽は良いけど地獄は嫌だ」という分別心です。
その罠を見破れなければ、み仏から「私と一緒に地獄へ行ってくれないか」と言われても、「はい、行きます」とは絶対に言えません。
もし本当の極楽へ行きたければ、分別心の罠を見破らなければなりません。
極楽へ行けるのは、分別心の罠を見破って、「み仏のお指図であれば、喜んで地獄へも行きます。火の粉もあびます」と答えられる人だけです。
これが、「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ねる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」と説かれた良寛さんの言わんとしている事であり、道元禅師が説かれた「生死の中に仏あれば生死なし」です。

まだまだお話したい事は山ほどありますが、幾ら書いても限がありませんので、ここまでにしておきます。
長い文章になってしまった上に、まとまりの悪い文章になってしまい、お許し下さい。
最後に一言だけ!
いま私がお話したことは、ただの知識に過ぎません。
知識ですから、理解しただけでは何も変わりません。
この知識が行動によって体験に変わった時、初めて知識が智慧となり、ピンチをチャンスに変えてくれます。
どうかその点を忘れないで下さい。
最後になりましたが、これからお父さんと御家族の皆様が共に過ごされる日々が、心豊かで実り多きものとなるよう、心からお祈りしております。
なお、法徳寺のホームページにも、関連した事が書いてありますので、宜しければそちらも一度ご覧になって下さい。
http://www.takanoyama-houtokuji.com/1,sakura/jisatsuboshi/06.html
http://www.takanoyama-houtokuji.com/1,sakura/jisatsuboshi/07.html
Posted by 大西良空 at 2014年04月22日 12:01
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
私にできる親孝行。
    コメント(1)