2015年03月01日

ひとり暮らしを始めて12年。

私がひとり暮らしをするようになって12年になった。
現在、YAH!DO みやざきの事務局長をしている山ちゃんこと
山之内俊夫さんと友達になったことがきっかけだった。

山ちゃんはその頃、東京でのひとり暮らしを経験して
帰ってきたばかりだったと思う。
宮崎でもすでにひとり暮らしを始めていた。

うまく伝えられない私がひとり暮らしをするなんて
不可能だと思っていた。
最初はパニックになるくらい大変で、
4日後くらいにお母さんを見たときは
ホッとして思わず泣いてしまった。

今はひとり暮らしにも慣れて…と言いたいところだが、
すべてをスムーズに伝えることが出来ない私の場合、
伝えた内容が他の内容に受取られてしまうこともある。
人間関係はうまく言っているけれど、そこは難しいところだ。


今、お父さんが入退院の繰り返しで、串間に帰りたくても
なかなか帰ることが出来ない状況が続いている。
というのも父も私の介助をしてくれていたから、お世話してくれる人が
実家にはいないのだ。何もかもお母さんがひとりでするのは
無理だから。

そういう意味では、一人暮らしが出来ていて
よかったかな。






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Posted by あっこちゃん at 05:19│Comments(2)家族
この記事へのコメント
『ひとさし指から奏でるしあわせ』に、一人暮らしを決断した時の事が書かれていましたが、本当によく決断されましたね。
「うまく伝えられない私がひとり暮らしをするなんて不可能だと思っていた」と言う言葉に、嘘偽りはありません。
それだけに、一人暮らしを始めるのは、明子さんにとって、清水の舞台から飛び降りるよりも勇気の要る一大決心だった筈です。
ただ「ひとり暮らしがしたい」という想いだけでは、肝心の一歩を踏み出すのは、至難の業です。
やはり、山之内さんという先駆者の存在が大きかったですね。
山之内さんが、明子さんの背中を押す大きな力となった事は間違いありません。
「善き友」との出会いが、ここにもありました。

ブログにも書いておられるように、もし一人暮らしを決断していなければ、今頃、お母さんは、明子さんとお父さんのお世話で大変だったでしょう。
勿論、今でも大変な事に変わりはないでしょうが、一人暮らしをしているだけでも、お母さんの大きな手助けになっていると思います。
お父さんも入退院の繰り返しで大変だと思いますが、チョットやソットで、へこたれるようなお父さんではありません。
それは、明子さんを見ていればすぐ分かります。
「この親にしてこの子あり」と言いますが、明子さんの前向きな姿勢と強さは、やはりご両親譲りなのでしょう。
明子さんを産み、育てて下さったご両親こそ、「善き友」の中の「最良の善き友」であり、「善き理解者」であり、「最強の応援団」です(^_^)
Posted by 大西良空 at 2015年03月04日 16:48
そなんだ。
山ちゃんがきっかけなんやね??

そっか、中々実家に帰れないんや(・・?
たまには アコリンに会いに行きたいわぁ~
くろちゃんにも会いたいよん。
Posted by 田中 由里亜田中 由里亜 at 2015年05月07日 18:58
 
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ひとり暮らしを始めて12年。
    コメント(2)