2014年02月02日

アッコ先生が回復するまで待っている。


1月12日のこと、レッスンが終わって一段落していたら
「ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴った。
「ハーイ」と母が出ると、
懐かしい声が聞こえて来た。
ハキハキとしたメリハリのある声だ。

「レッスンに来ると、この玄関先でいつも泣いていた
いちこが成人式を迎えることが出来ました!」

いろはちゃん、いちこちゃんのお母さんの声だった。
しずしずと赤い振り袖姿で部屋に入ってきたのは妹のいちこちゃん。
すっかり綺麗になっちゃって…。

お姉ちゃんのいろはちゃん、続いてお母さんも「アッコせんせーい」と入って来た。
いろはちゃんは現在24歳で、古賀総合病院に精神保健福祉士として勤務している。

私が健康なときから教えていた最初の生徒だった。
私はその頃、運転してこのアパートから15分くらいの
いろはちゃんの家に教えに行っていた。
もう19年も前のことだ。

何にも出来ない身体になったとき、母はいろはちゃんのお母さんに
「もう明子は教えることは出来ないと思います。
他の先生を紹介しますので…」
と言ったらしい。

「“アッコ先生が回復するまで待っている”と、いろはが言うんです…」
とお母さん。

その後レッスンを再開すると、いちこちゃんもピアノを習いに来るようになり、
2年前に教室を卒業した。

19年前のあのとき、いろはちゃんのあの一言があったから
私は今も教えることが出来ているのではないかと思う。

いろはちゃんに感謝だ。

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Posted by あっこちゃん at 16:06│Comments(2)ピアノ
この記事へのコメント
先生!先月は久しぶりにお会いできてとても嬉しかったです。
父も母もこの記事を読みました。母は、涙ぐみながら読んでいました。
あっこ先生をはじめ、坂中ピアノ教室ではピアノ以外の多くのことを学ばせていただきました。今でも、あっこ先生の生徒でよかったと思っています。先生、これからもよろしくお願いします。また、三姉妹で遊びに行きます。
Posted by いろは at 2014年02月03日 18:49
素敵な生徒さん達に恵まれている明子さんは、お幸せですね。
羨ましい限りです。
でも、それもまた、明子さんの人徳だと思います。

話はガラッと変わりますが、昨日は節分でした。
明子さんも、小さい頃は、ご両親やお友達と一緒に豆撒きをされたと思いますが、法徳寺でも恒例の豆まきをしました。
世間では、「福は内、鬼は外」と言いながら豆を撒いたり、世の中に鬼はいないからというので「福は内」とだけ言って撒いたりするようですが、法徳寺の豆撒きは、少し変わっています。
法徳寺では、「福は内、鬼も内」と言いながら撒くのが恒例になっています。
「鬼も内」では困りませんかって?
いいえ、今まで「鬼は内」と言いながら豆撒きをして、困った事など一度もありません(笑)。

何故法徳寺では「福は内、鬼も内」と言って豆撒きをするのかと言いますと、鬼の気持ちになって考えて頂いたら、多分分かると思います。
鬼だって、福が欲しいんです。
人に嫌われたくないし、救われたいんです。
もしかしたら、福が欲しいのは、私達より鬼の方かも知れません。
「誰からも嫌われている鬼を、私達まで嫌って家から追い出したら、余りにも可哀そうだよ。嫌われている鬼を好きになって家に招いてあげようよ。そんな人間が居てもいいんじゃないの」
そんな思いから、法徳寺では、毎年「福は内、鬼も内」と言いながら豆撒きをするようになったんです。

吉祥天という福の神と、黒闇天(こくあんてん)という貧乏神が居るのをご存じですか?
この二人は姉妹で、いつも一緒にいて、離れたことがありません。
まさに一心同体です。
ですから、もし黒闇天(鬼)を家から追い出せば、吉祥天(福)も一緒に出て行ってしまいます。
もし福の神の吉祥天に来てほしければ、貧乏神の黒暗天も一緒に招かねばなりません。
「福は内、鬼は外」と言っていては、せっかく入ってきた福も逃げて行ってしまいます。
だから、「福は内、鬼も内」でないとまずいんです。

人生も同じだと思います。
都合の悪い事からは、誰でも逃げたいし、出来れば遭遇したくありません。
しかし、長い人生、不都合な事から逃げたり、眼を背けたりして生きていく事など出来ません。
それどころか、逃げれば逃げるほど、不都合な事は後から追いかけてきます。
 波の音 嫌じゃと思うて山ごもり
    声色変えて 松風ぞ吹く
です。
その不都合な事を鬼に譬えているのが、節分の行事です。
「福は内、鬼は外」と言って豆を撒くのは、「都合の良い事は受け入れますが、不都合な事は受け入れません」と言っているのと同じです。
こんな虫の良い話はありません(笑)
世の中は、そんな虫の良い話を受け入れてくれるような仕組みにはなっていません。
鬼は嫌だと言っていくら逃げても、逃げ切れないようになっているんです。
逃げれば逃げるほど、鬼は益々凶暴になって追いかけてきます。
無駄な抵抗ですね(笑)。
でも、発想を転換して、「もう逃げません。どうぞ鬼さん、遠慮せずにお入りください」と言って、受け入れてみたらどうでしょうか。
牙を折られ、金棒を捨てた鬼なんて、怖くも恐ろしくもありません。
むしろ、可愛いくらいです。
不都合な事であっても、受け入れる心になれば、もう不都合は不都合でなくなります。
そう考えると、やはり「福は内、鬼は外」より、「福は内、鬼も内」の方がいいですよね。
来年の節分からは、きっと明子さんも鬼が大好きになりますよ。
Posted by 大西良空 at 2014年02月04日 11:45
 
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アッコ先生が回復するまで待っている。
    コメント(2)